わが友に贈る・寸鉄 他

2012年1月14日(土)更新:3
【わが友に贈る】
 生命の世紀の先駆者 白樺の皆様よ。
 友の健康を守る 尊き献身に感謝!
 貴女に福徳の栄冠を! (聖教新聞 2012-01-14、以下同)

寸鉄
●中国の中央財経大学から名誉教授。「池田先生は中日友好の平和の使者」
●四国婦人部の日。幸の輪広げる尊き奮闘に感謝。正義の炎は後継に脈々と
●「法華経は一文・一句なれども耳にふるる者は既に仏に」。語る功徳は厳たり
●失敗を恐れぬ若者は百倍のチャンスを得る―哲人(エマソン) 勇敢に勝利の青春譜綴れ
●冬は路面凍結による事故多し。運転・歩行時は細心の注意を。焦りは禁物!

【名字の言】
日蓮大聖人は、仏の悟りをそのまま説いた「随自意」の法華経と、衆生の機根に応じた「随他意」の爾前経の違いを、親子の関係に譬えられた。随他意とは“親が子の心に随う”ようなもので、随自意とは“子が親の心に随う”ようなものである、と(御書1437ページ)
 親が子の欲求に随ってばかりでは、子の成長はない。真実を教え、子を随わせることが本当の幸福につながる
 一方、子の立場からは、近すぎる存在の親を「理想のモデルと見ることは往々にして難しい」――創価学会の世代間の信仰継承を研究する龍谷大学の猪瀬優理講師は、そう語る。そして、地域の先輩による「家庭訪問」の役割に注目した。「自分のことを見てくれていて、精神的なことや、将来のことを話してくれる『お兄さん』『お姉さん』というのは、普通に日本社会で暮らしているとなかなか出会えない」(「第三文明」1月号)

【新・人間革命 共戦 五十一】
●山村は、宗教自体、信じる気にはなれなかった。“どうせ、うさんくさい話をするんだろう。徹底して反論してやろう”と思いながら、前に進み出ていった。
 「奥さん、何か、悩みをかかえていらっしゃるんじゃありませんか」
 日々、悩みだらけである。それを見透かされたような気がして、しゃくに障った。
 「べつに、悩みなんかありませんよ!」
 伸一は、笑顔を向けると、「なぜ、正しい信仰が必要か」「仏法とは何か」などを、諄々と語っていった。
 山村は、内心、その話に納得した。しかし、同時に、“負けてなるものか!”という気持ちが、むくむくと頭をもたげてきた。
 理性ではよいとわかっていても、感情的な反発が生じ、行動に移せないことがある。しかし、その感情をコントロールし、勇気をもって、進歩、向上のための第一歩を踏みだすことから、幸福への歩みが始まるのだ。
 伸一は、話し終えると、山村に言った。
 「ご病気ではありませんか? 病を乗り越えていくには、御本尊に題目を唱え、生命力をつけていくことが最も大事です。信心をなさってみてはいかがですか!」

【きょうの発心 師と共に青年学会構築へ先駆】
 世間の浅き事には身命を失へども大事の仏法なんどには捨る事難し故に仏になる人もなかるべし (佐渡御書、956ページ)
尊い生命を仏法のため、広宣流布のために使っていきなさいと教えられています。
●「信仰していること それ自体が最高の幸福であることを忘れまい」

【GLOBAL VIEW 世界に広がる仏法の魅力 「仏法は『人の振る舞い』の中に」を指針に】
●「ワン・ヨーロッパ・ウィズ・センセイ!(ヨーロッパは一つ、池田先生と共に!)」のスローガンのまま、全欧州の青年が結束して、師に応えようと立ち上がりました。信じられないほど素晴らしい経験でした。
 今この時に、先生のハートとスピリットを分かち持って前進できる喜び――「師弟不二」の実践をどこまでも深めていくことが、私たち青年部の活動の根幹です。
●「大学で学ぶのは、大学に行けなかった人たちに奉仕し、貢献するためである」
●本部幹部会での師の自在な激励の振る舞いに触れ、また学会本部の金舞会館で、師と勤行できたことが、大きな思い出です。
 先生は、一人一人全員と、眼を見ながら握手され、その姿から、一人の幸せのためにどれほど真剣に戦っているか、その息吹に触れることができました。

【TURNING POINT 逃げない。挑めば変われる】
●「逃げちゃいけない。この壁に挑めば絶対に変われる。死ぬ気になって信心してみろ」
●「学会活動を本気でやれば、すぐ分かる」
●「何かあるときだけ願うような、おすがり信仰じゃない。毎日、自分自身と向きあうのが、この信心」

【START LINE 今やっていることを好きになれば無敵になる アイデアは記憶や経験から生み出すもの】
●人は、他者がいなきゃ自分が確認できない生きモノ。出会いは自分を知るチャンスでもあるんですよ。
●インターネットで調べれば、大抵の情報は手に入ります。だけど、それでは、アイデアにはたどりつけない。
 何かを作ろうとした時、表現できるのは、「自分が体験し、感じてきたこと」だけです。
●「好きなことをやる」ことではなく、「今やっていることをどれだけ好きになれるか」だと思います。