毀謗と云うは即不信なり(御書97ページ)

2012年1月17日(火)更新:5
・斧節『横行する「やらせ」』
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20120116/
>>創価学会員による親切や善行が「やらせ」であれば、布教は経済行動となる。誘導というコントロール性は第六天の魔王に通じる。選挙戦におけるエピソードの大半は「やらせ」っぽいよね。(小野さん)
●わが知恵は、何の役に立つだろうか。ただ、暑さと寒さを知るだけの知恵さえあるならば、善知識を求めることが大切である (御書1468ページ、通解)
●今、日蓮は、去る建長五年四月二十八日より今年弘安三年十二月に至るまで、二十八年の間、他事は一切ない。ただ妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れようと励んできただけである。(御書585ページ、通解)
日蓮大聖人が死身弘法の大闘争を貫かれたのは、ただただ民衆の幸福を願われてのことであった。この崇高な使命を受け継ぐ我らは、皆が尊き「地湧の菩薩」である。皆が宿福深厚(しゅくふくじんこう)なる「御本仏の使い」である。(「御書とともに〈62〉」聖教新聞 2011-12-09)

学会は最高の善の世界です!同志の行動は、相手の幸せを願う“真心”からでたものです。こんな世界は他にはありません。それを「やらせ」、「第六天の魔王」と罵る自らの命と貧弱な発想を省みる生命力をつけなければ、いつまでたっても学会員の真心と行動はわかりません。