大阪事件の無罪判決から半世紀 「祈り」「雄弁」「行動」で勝て

2012年1月23日(月)更新:3
【紙上座談会 師弟の大道を歩む 新しい力で時代を開け!(5)】
●*杉本 まもなく1月25日。1962年(昭和37年)の「大阪事件」無罪判決から半世紀となります。決して忘れてはならない歴史です。
*棚野 大阪事件とは、57年(同32年)4月に行われた参議院議員選挙の大阪地方区補欠選挙で、支援活動の責任者だった池田先生が一部のメンバーに選挙違反行為を指示したという、全くの事実無根の容疑で不当逮捕されたものです。
*原田 とんでもない冤罪であった。学会が大変な勢いで弘教を進め、新しい民衆運動が広がっていった。それに対して権力の魔性が牙をむき、迫害してきた。学会の勢力伸長に対する権力の横暴な弾圧というのがその本質であった。
*吉井 日蓮大聖人は、「法華経を持つ者は必ず成仏し候、故に第六天の魔王と申す三界の主此の経を持つ人をば強に嫉み候なり」(御書925ページ)と仰せになっています。
*棚野 また、「魔の習いは善を障えて悪を造らしむるをば悦ぶ事に候」(同981ページ)という御文もあります。法華経の行者には、障魔が必ず競い起こってきます。
*正木 池田先生は支援活動に当たって、違反行為を厳しく戒めていました。最初から無罪であることは明々白々でした。
*橋元 しかし、権力は無実の先生を逮捕し、検事は“罪を認めなければ、戸田を逮捕するぞ”と脅してきた。池田先生は戸田先生と学会を守るため、ひとたびは、一身に全てを受けることを決意されたのです。
*正木 池田先生の裁判闘争は、師弟不二の闘争でした。判決の前年12月に行われた最終陳述の際、池田先生は戸田先生の「いいじゃないか、裁判があるではないか。裁判長はわかるはずだ。裁判長に真実がわかってもらえればいいではないか」との言葉を語り、陳述を結んでおられます。
*橋元 はい。池田先生は、このように述懐されています。
 「私は会長となっていた。後を継いだ者として、戦時中、同じく無実で獄に囚われた牧口先生、戸田先生の無念を晴らすしかない。師匠の仇討ちのために何があっても勝つのだ!
 我らは師子だ。師と弟子が一体不二で邪悪を破り、正義を轟かせるのだ!
 この一念深き『祈り』と『雄弁』と『行動』が、諸天善神を揺り動かした」と。
*原田 あまりにも峻厳な師弟の精神です。池田先生が一人、矢面に立ってくださり、学会を、同志を守ってくださった。私たちは感謝してもしきれません。

〈不惜身命の大闘争〉
*棚野 判決の前夜、兵庫・尼崎で行われた関西男子部幹部会で先生は「次の世代にバトンを渡すまで、なんで自分の生命が惜しいものか。善良な市民を苦しめている権力とは、断固、一生涯戦う!」と語り、「仏法は勝負」と力説されました。勝ってこそ正義です。青年部は、この精神を断じて継承していきます。
*正木 池田先生は公判のため、何度も何度も大阪、そして関西を訪問されましたが、裁判闘争の合間も全力で会員を激励してくださいました。
*吉井 61年(同36年)9月、第2室戸台風によって大阪の沿岸部が大きな被害に遭った時もそうです。先生は公判前に、西淀川の地を訪れ、被災した同志を励ましてくださいました。
*棚野 学会のことを快く思っていなかった地域の方が、道が泥でぬかるむなか同志に声を掛け続ける先生の姿を見て、「他人のためにここまで行動する人がいるのか」と感嘆していたそうです。  それほど懸命の激励行でした。
*杉本 また「1・25」は「民衆勝利の日」であり、「関西婦人部の日」です。先日の随筆でも先生は、正義の勝利を御本尊に祈り続けた関西婦人部の皆さんを、「母たちの不屈の祈りに、どれほど勇気づけられたことか。まさに『万の力』の励ましであった」とたたえておられました。
*正木 こうして池田先生が権力の魔性と戦い、同志を励ましてくださった不惜身命の連続闘争によって、今日の世界広布があります。その報恩の誓いを燃やし、私たちは今一重の闘争を開始していきたい。 (聖教新聞 2012-01-23)