難来るを以て安楽と意得(こころう)可きなり(御書p.750)

2012年2月3日(金)更新:1
【名字の言】
 どんな人のなかにも「仏の生命」がある――これが法華経のメッセージだ。しかし、これは難信難解(信じ難く理解し難い)。日蓮大聖人は例えば「観心本尊抄」の中で、そのことを繰り返し強調されている
 のみならず「汝之を信ぜば正法に非じ」(御書241ページ)とまで仰せである。“今あなたがこれを信じたら、正法にはなりません”と。法華経のすばらしさを宣揚しつつも、法華経の教えはたやすく信じられるものではない、ということだ
 その心は「軽信に陥るな。分かったつもりになってはならない」との戒め、と拝することもできるだろう。まことに、信仰の敵とは“懐疑”ではない。“軽信”なのだ
 苦難に直面したとき――。祈り、戦い、乗り越えてこそ、人は自身の胸中に〈不屈の魂〉を実感する。真心こめて励ました友が、見事に蘇生し得たとき、私たちはそこに〈大いなる生命〉を発見する。信仰体験とは、互いの〈仏性〉確認のためのドラマであろう
 「難信難解」の4文字は“難に鍛えられての信仰、難を乗り越えての理解”と受け止めたい。だからこそ私たち創価の友は、どんな苦難にも決して負けず立ち上がるのである。万人に仏性あり――その証明は、私たちの使命であり、喜びである。 (聖教新聞 2012-02-03)