我らは「師弟の道」を貫く

2012年2月28日(火)更新:1
寸鉄
人間主義を広げるSGI会長の壮大な人生を世界が賞讃─音楽家(アルゼンチン)。平和世紀の柱
●恩師「破折すべきことは徹底して破折せよ」。正義の言論が勝利の決定力に 
●「65歳以降も働きたい」と中高年56%。政治は長寿社会に対応する環境作れ (聖教新聞 2012-02-27、以下同)

【師弟の大道を歩む 新しい力で時代を開け!(13) 前進をたたえ合い団結して】
●池田先生は、こう指導されています。  「折伏も個人指導も何もかも、一番進めてくださっているのは、婦人部の皆様である。尊き広布の女性に対して、心を込めて頭を下げるのは、当然である」  「男女同権は世界の常識である。女性を下に見たり、ふざけ半分で軽んじたりすることは、断じて許されない。これまで以上に、女性を大切に! 女性に親切に!――これを男性の幹部は深く心に刻むべきである。尊き創価の女性に最敬礼を捧げたい」と。
●学会の世界では、皆が等しく仏の使いです。仏法の本義から見れば、性別も年齢も役職にも、そこに差は何もない。  ゆえに、皆が互いに尊敬し、それぞれの意見を尊重し合いながら、団結していくことです。

【民衆の歌声 名誉会長と綴る共戦譜 〈4〉中部 我らは「師弟の道」を貫く】
●「あっ!あの時の指導だ」
 会場に一歩足を踏み入れた瞬間、多くの友が思わず声を上げた。
●「我々はひとたび決めたこの道──すなわち信心の道、成仏の道、広宣流布の道、そして同志の道を生涯貫き通して、ともどもに人間勝利の人生を飾っていこう」と。
 第1次宗門事件の烈風が吹き荒れていた昭和53年、非道な坊主らが、名誉会長や学会への非難中傷に狂奔していた。
 「学会につくのか寺につくのか、どっちなんだ!」 東濃、垂井、伊賀……。
 師弟の絆を裂こうと、中部各地で坊主が会員を狙い撃ちしていた。
広宣流布を忘れ、本性をむき出しにした坊主の言葉に耳を疑った。
 「印鑑持って来い。あんたらが判を押せば、本部の全員が脱会したことになる」。寺に呼び出され、何度も責められ、言い合いになった。
 「杉山さん、辞めさせてもらいます」。メンバーから面と向かって告げられる時もあった。入会当時から、勤行など信心の基本を一つ一つ教えてきた人たちだっただけに無念だった。
 「“先生!奥様!負けません!”って、どんだけ空に向かって泣いたかわからんわ」と信子さんは当時を思い返す。
 中部歌の1番には「不退の君と 悔いあらじ」。2番には「苦難の彼方に 瑠璃の城」。
 どんな苦難があろうとも、ひとたび決めた「同志の道」を貫こうじゃないか!──名誉会長は思いを歌詞に託した。
●──諸天が「舞う」だけでは受動的になってしまう。大事なのは諸天をも「舞わせる」「動かしていく」、我々自身の強き祈りと行動だ。よし、「舞う」を「舞え」に変えよう──。
●「中部の人を思うと、何としても諸天舞えと祈る思いだ」
●──「これぞ本陣 護れ君 護れ君」。「護れ君」と2回繰り返されている。師との誓いを果たし、朝な夕なに戦いきった喜びを歌い上げるんだ。
 「舞う」から「舞え」に変えていただいた。しかし、ただ歌詞が変わったというだけではなく、私たちの生命も変えて歌っていこう!──
●広宣の友と歩む喜びの道。師に誓ったひとすじの道。希望あふれる共戦の大道を、今、若き友が朗らかに進む。 (聖教新聞 2012-02-27)

【太陽の使者に贈る 〈8〉 正義の新聞】
●戸田先生も、聖教新聞の創刊以来、自ら先頭に立って、小説『人間革命』やコラムの「寸鉄」、論文などを執筆され、縦横無尽に言論戦を展開してくださった。
 そのもとで訓練を受けた私も、「学会の真実の歴史を残してみせる」「会員の皆さんが喜ぶならば」と、胸中で恩師と対話を重ねながら、今日まで休みなく、心血を注いで正義のペンを執り続けている。
     ◇
 私たちの人生においても、また言論戦にあっても、善を宣揚し、邪悪を破折してこそ、真実の信頼が得られる。
 聖教は真実を師子吼する正義の新聞である。 〈2010年4月23日付「5・3祝賀協議会」での池田SGI会長のスピーチから〉