傍若無人にして畜生に劣れり(p.1444)!

2012年3月8日(木)更新:1
・斧節『生命の因果ということ』
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20120307/
●脅す人は、絶対に仏法者ではない。悪逆の権力者か、残酷な暴力者であろう。 (御指導、1991-11-09)
●人が人を責めることなんか知れたものだ。御本尊様に裁かれることほど、この世で恐ろしいことはない―戸田先生

あなたは“強さ”をはき違えています!力を崇拝する「畜生の心」は、社会悪の元凶です。人間愛の不軽菩薩と対局の姿の「弱肉強食」です。暴力的な言動に、いかなる正当化もありえません!!
本当の“強さ”とは、力を誇示することではありません!自身の弱さに振り回されない人が強いんです。苦しい事があっても、題目をあげ抜く力が“強さ”です。
創価学会は、あなたの暴力的言動とは真反対の清らかな世界です!苦しみ悩む人に同苦し、共に励ましあいながら、共々に幸福になっていこうとするのが創価学会です!
●自分の主人となれ 勘違いしてはならない。自制心という言葉を知っているだけで、なにがしか自制できているわけではない。自制は、自分が現実に行うそのもののことだ。―ニーチェ
●心の師とはなるとも心を師とすべからず(御書892ページ)!
法華経は「諸法実相」と説く。「諸法」とは、すべての個々の生命事象である。その「実相」すなわち真実の相とは、宇宙生命そのものである。この不可思議の真理を、戸田先生は「仏とは生命なり」と表現されたのです。
 これが分かれば、絶対に「殺(さつ)」の心など起きるわけがない。何かを破壊することは、自分を破壊することになるからです。(『法華経智慧 第一巻』池田大作
法華経の精神からは、暴力は絶対に出てきません。 (『同 第五巻』、以下も)
●同志を心から尊敬できる人が偉いのです。不軽菩薩は信仰していない相手すら、「仏界」があるのだからと礼拝した。いわんや信仰している同志を粗略に扱う人がいれば、必ず罰を受けるでしょう。
●強い人ほど謙虚であり、確信の人ほど寛容なのです。 (『箴言集 四季の語らい』池田大作

・リンク先、斧節『観心とは』
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20091118/
●大聖人は「観心の本尊」と仰せです。観心すなわち己心の仏界を感じ、覚知するするための御本尊です。しかし、その観心とは、いわゆる観念観法の修行によるのではありません。どこまでも「信心」が根本となります。ゆえに、「此の御本尊も只信心の二字にをさまれり」と仰せなのであり、「観心の本尊」とは「信心の本尊」なのです。 (「勝利の経典 御書に学ぶ」 大白蓮華 2011年12月号)