世界は池田博士の哲学の実践者を必要としている

2012年3月23日(金)更新:3
【フィリピン国立バターン半島大学「名誉人文学博士号」の授与式 マグパンタイ学長の「授与の辞」】
 “時折、自分の光が消えてしまうことがあっても、他者との出会いによって炎の如き光が再びともされることがある。自分の内なる光を再びともしてくれたこれらの人々に、深く感謝せずにはいられない”
 これはアルバート・シュバイツァーの言葉です。
 池田大作博士の人生とその哲学について学ぶ中で、いかに博士が私を鼓舞し、私が人生で取り組んでいることに対する情熱を再び呼び起こしてくださったかを、的確に表現する言葉を探さずにはいられませんでした。
 世界は、池田博士の理念と哲学を意識的に取り入れ、生き方とするもっと多くの人を必要としています。私は、国立バターン半島大学の学長として、本学の教職員ならびに学生が、ひとたび池田博士の思想と信念を知るところとなれば、彼らの人生の旅路に力と導きを与えるであろうことを確信しています。
 池田博士の哲学には、私が心から大切にしてきた理念が含まれています。博士の哲学は、私が公私にわたり人生を乗り越えるための信念に力を与えてくださいました。
 博士の言葉は、博士がどのように人生を乗り越えてきたかを反映し、平凡さ、率直さ、誠実さ、謙虚さにあふれています。そのことだけをもってしても、博士は拍手喝采に値する存在であるのです。
 本日、この場に集うことができ、尊敬する池田大作博士への名誉学位授与の栄誉に、共に浴することができたことに、喜びの拍手を送り合おうではありませんか(大拍手)。
 また、ご列席の皆さまと共に、本日の授与を実現するために尽力された皆さまに対し、温かい拍手を送りたいと思います。彼らのような素晴らしい方々がいる創価学会は大変、幸運であります。
 池田博士の人生経験と国立バターン半島大学の歴史には、興味深い類似点があります。
 両者は共に、実につつましやかなスタートを切っており、貪欲な知識の探求のみを継続的な励みと原動力として、不屈の前進を続けてきたのであります。共に非常に困難で、失意にあふれ、打ちひしがれるような試練の時を経験しています。
 また、両者は共に、人間の精神力と崇高な理想から生まれる生命力を信じ、他者に奉仕することで変化を起こすことができると、確信し続けています。
 かつて池田博士は、“教育に課せられた責務とは、すべての青少年の生命に秘められた智慧を薫発し、解き放つことでなければならない。教育は、何か「鋳型」に入れるような抑圧的なものであってはならない。人間の内にある可能性を引き出していくのである”と語られました。
 これはまさに、国立バターン半島大学が学生に対して行おうとしている教育そのものであります。
 本学は、学生が自らの力を自覚することを助け、不安と弱さの克服に励む過程を、忍耐強く導いています。
 池田博士は、英知と平和の追求には対話が重要な役割を果たすと信じておられます。同様に、国立バターン半島大学も、互いの話に耳を傾ける術が問題解決や、よりよい相互理解への原動力となると考え、多様な分野・団体間の対話を奨励しているのです。
 平和を求める心さえあれば、人間はどんなことでも成し遂げられるという、生きた証明の存在である池田博士は、平和建設者としての使命と情熱を揺るぐことなく保ち続けておられます。
 その偉業は見過ごされることはなく、すでに世界の多くの一流大学が、博士に名誉博士号を授与しています。
 また、池田博士は国際的な平和賞を多数、受賞され、700を超える都市・国家から名誉市民などの称号を授与されています。
 しかし池田博士は、現在の自分も、成し遂げた功績も、すべては戸田城聖氏のおかげであると、恩師に対する感謝の意を表明しなかったことは一度たりともないのです。
 私ども一行は、池田博士と深い関係のある皆さま方にお会いでき、親しくお話をさせていただけることを、実に大きな名誉と感じています。
 そして、さらに重要なことは、池田博士の足跡をたどることができることは、忠実な世界平和の闘士である私にとって、栄誉であるということです。
 私は池田博士と共に、次の世代が、博士が築いた土台から力と啓発を得て、平和と人間革命に挑み続けるよう祈ってまいります。
 池田大作博士は、世界で最も賞讃に値する平和の闘士であります。
 博士の非凡でありながら謙虚な姿勢は、その偉大さをより引き立てています。それこそが国立バターン半島大学が名誉学位の授章者として選んだ理由であり、これをもって博士を本学の同窓生としてもお迎えすることとなります。
 本日は、大変にありがとうございました。 (聖教新聞 2012-03-23)