平凡にして偉大な幸福の太陽たれ!

2012年4月11日(水)更新:2
【御書とともに〈74〉名誉会長が指針を贈る】
 夫(それ)信心と申すは別(べち)にはこれなく候、妻のをとこ(夫)をおしむが如くをとこの妻に命をすつるが如く、親の子をすてざるが如く・子の母にはなれざるが如くに、法華経釈迦多宝・十方の諸仏菩薩・諸天善神等に信を入れ奉りて南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを信心とは申し候なり (妙一尼御前御返事、1255ページ)
〈通解〉 そもそも信心というのは特別なものではない。妻が夫を大切にするように、夫が妻のために命を捨てるように、また親が子を捨てないように、子が母から離れないように、法華経・釈迦・多宝・十方の諸仏・菩薩・諸天善神等を信じて、南無妙法蓮華経と唱へ奉ることを信心というのである。

《同志への指針》
 信心とは、最も人間らしい心の発露である。家族を慈しみ、わが子を守り抜く。そうした心のまま御本尊に向かえばよいのだ。
 ヤング・ミセスの皆様は日々、現実の中で奮闘されている。身近な生活こそ人間革命の劇場である。今日も、賢く、朗らかに「幸福の太陽」を輝かせゆかれんことを! (聖教新聞 2012-04-11)