法華経とは一切衆生を救いたいという仏の誓願が文字として表れたもの

2012年5月2日(水)更新:2
【名字の言】
 「いいつくり手は、みんないい字を書きます」。本紙「スタートライン」にも登場した名CMプランナーの杉山恒太郎さんが、こんなことを述べていた
 「字にその人ならではの『味』や『人格』がある」「ぼくはこれ、自分のなかにあるものを、ちゃんと表現できているということだと思う」(『クリエイティブマインド』インプレスジャパン)
 分かる気がする。少し趣旨は違うが、かつて先輩に言われたことがある。「精魂込めて書いた文章かどうか、分かる人には、原稿を手に取った瞬間に分かるものだ」。原稿を「書く」のではなく「打つ」時代に、字形の違いはない。それでも、原稿の「姿形」に、そこに込めた「心」が表れるという言葉には、真実が含まれていると思う
 御書には、「色心」(肉体・物質と精神)は不二であるゆえに、「仏の御意(みこころ)あらはれて法華の文字となれり」(469ページ)と。法華経とは、一切衆生を救いたいという仏の誓願が、文字として表れたもの、との仰せだ
 同じ文字を使っても、人を陥れようとする文もあれば、励まそうとする文もある。精緻な論理の文もあれば、情感豊かな文もある。文は命である。広宣流布の機関紙ならば、手に取る人を幸福に――そう胸に刻んで。(聖教新聞 2012-05-02)