広布の道を貫く事自体が誉れ 妙法と師と共に生き抜く程の幸福はない

2012年5月12日(土)更新:2
【名字の言】
 「孔明はつまらぬことをしたものだ、大国に仕えたらよかったのに」。曹操(そうそう)の魏に仕えた諸葛孔明の知人たちは、そう思っていただろう――中国史の宮川尚志博士は言う(『諸葛孔明講談社学術文庫
 諸葛一族には、魏や呉で高位高官に就いた者もいた。三国志時代の価値観では、家系の存続が最優先で、むしろ当然の行動といえる。だが孔明は、嫡子(ちゃくし)・嫡孫(ちゃくそん)までも、小国の蜀(しょく)に殉じていった
 「丞相(じょうしょう)病あつかりき」――志半ばで五丈原に倒れた孔明の「悲運」を思い、詩人・土井晩翠は詠んだ。だが、孔明は、決して「不幸」だったのではない。先帝・劉備と共に願った漢室の復興へ、真っすぐに生き抜いたからだ
 信念の人生は報われてほしい。だが、もっと大事なのは、信念を貫いたかどうかだ。日蓮大聖人は、流刑地佐渡で開目抄を著し、妙法を流布する法華経の行者が、なぜ迫害にあわねばならないかを詳細に綴られた。その上で叫ばれた。「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」(御書232ページ)と。広宣流布の道を貫く。そのこと自体が最大の誉れ、幸福であるとの大宣言と拝される
 妙法と、師と共に生き抜くほどの幸福はない。この気概で、2013年の5月3日へ。 (聖教新聞 2012-05-12)