あなたにも「世界を変える力」が

2012年5月14日(月)更新:2
【米マサチューセッツ大学ボストン校 モトリー学長が講演 教育と人間の可能性】
●自分と他者、自然環境との親密性に感謝できれば、自身の可能性は限りなく広がります
●池田国際対話センターは、多様な文化に橋を懸ける機関です。創立者池田博士に日本でお会いし、マサチューセッツ大学ボストン校から、博士にとって300番目の名誉学術称号を授与させていただいたことは、わが校の誉れです。全人類の可能性を開くため、弛みなき不屈の努力をなされる池田博士こそ、私たちの模範です。
 きょうは、教育と人間の可能性について語り合いたい。
 人間は、宇宙の一部として生きています。静的ではなく、常に変化を続ける宇宙のように、私たちも常に変化を繰り返しています。
 教育は、宇宙についての理解をはじめ、自分と宇宙の関係、また自己と他者の関係に対する認識を深める重要な手段です。さらには、従来の発想を超えた自己、そして、伝統的な仏教の考えである「大我(たいが)」の理解を可能にさせるものです。
 「大我」の精神を養うことで、他者の悩みや感情と深く関わることができる。他者への思いやりは、自身の行動の善悪の判断を伴います。したがって、教育とは、モラル(倫理)の羅針盤を発展させるものです。
 社会に共通の善をもたらす行動様式を創造するとき、私たちは皆、文化の“伝承者”になります。
 教育は“文化”の主要な供給源です。教育は、愛国心などを超越し、人権運動に見られる、普遍的な一体性を促進してきたのです。
 人権における重要な側面は、自然を含めたコミュニティー(共同体)との関与です。これにより個人は、地域、国家、そしてグローバルなコミュニティーから学習し、知識を駆使しながら、そのコミュニティーの持続的な発展を担っていく――。世界市民として、人類、また自然界に対する責任感が大切です。
 私たちは、無制限のように思える知識の可能性と、“知”へのアプローチの限界を見極めなくてはなりません。例えば、生理化学的な知識では、人間の精神性を完全には説明できない。こうした限界は、教育が、人間の精神性への理解と密接に結びつくべきものであることを示します。
 池田博士は、教育を“過去から未来に人間性の豊かさを伝えていく偉大な事業”であると訴えています。教育は、人類の継続、再生、変化を可能にします。
 私の大学は研究大学です。焦点は、既存の知識の普及だけでなく、新たな知識の生産にあります。未来が、現存の恐ろしく破壊的な知識の延長である必要はないのです。
 全ての教育機関が、一人一人の「大我」の精神に焦点を当て、それを引き出す教育を実施すれば、どんな素晴らしい未来が訪れることでしょうか。教育とはまさに、大事業なのです。
      ◇
  〈以下、質疑応答〉
*教育者ではありませんが、現在の教育システムに不安を感じます。市民として何ができるでしょうか。
●教育者ではない、という考え方を変えてみてはいかがでしょうか。私は、誰もが教育者であると考えています。全ての人が世界を変える力をもっている。あなたが望む社会をつくるために、自分ができる最善のことに挑戦してください。

*教師をしています。さまざまな抑圧や問題がある教育界で、どのように人間主義を貫くことができるのでしょうか。
●どんなプレッシャーや問題があっても、あなたらしく生きてください。そして、よき指導者、よき師匠をもつことが大事です。
 私は、学生の集団の中に入り、話し合う機会を大切にしています。こちらが心を開くと、学生も心を開いて話してくれるものです。教育のプロセスを楽しむことが大事です。何か新しいこと、学生が興味を示すことを、常に試してみてください。

*私はインドの小さな農村の出身です。農村の子どもたちを支援するには、どうしたらいいでしょうか。
●私自身、片親(母)に育てられましたし、育った場所も裕福な地域ではありませんでした。大学に入ったのも、家族のなかで私が初めてでした。
 模範となる人がいれば、子どもたちに希望と勇気が湧くでしょう。あなた自身が、子どもたちの模範的存在になってください。あなたが、その地域を変革していくのです。大学の学長であれ、市民であれ、関係ありません。変革の力は、あなたに備わっているはずです。

池田博士との出会いから、どんな印象や影響を受けましたか。
池田博士は、混沌とした大変な時代にあって、世界平和のために立ち上がられた。名誉学術称号を授与させていただくことが決定したときは、心からの喜びを感じました。
 博士は、まるでずっと旧友を出迎えるかのような歓迎をしてくださり、私も妻も本当に感動しました。
 博士はとても謙虚なお方でした。温かい人間性に深い感動を受けました。ずっとお話をしていたかったので、会場を離れたくなかったのを覚えています。
 博士との出会いは、私だけでなく、妻の人生も大きく変えました。あの出会いを今も毎日、思い起こしています。またお会いできることを念願しています。
      (聖教新聞 2012-05-14)