集中豪雨での同志の奮闘が、大きく学会理解の輪を広げる結果となった

2012年5月17日(木)更新:2
【新・人間革命 人材城 三十一】
 五木村の同志が、弘教に励んだのは、村の人びとに幸せになってほしかったからだ。
 人間は、何を信じるのかによって、生き方、考え方が決まっていく。宗教とは、その生き方の根本となる教えである。
 ゆえに、その教えの高低浅深を考察、検証し、対話していくことは、人間が幸福を勝ち取るうえで、不可欠な問題といえよう。それが、学会の折伏・弘教なのである。
 しかし、自他共の幸せを願っての弘教が、学会員の排斥という結果を招いた。この試練に堂々と挑んだ同志は、語り合った。
 「御書に仰せの通りに魔が競って来た! いよいよ、わしらの信心も本物になった」
 そして、着実に弘教を重ねていったのだ。
 そのなかで起こった、一九六三年(昭和三十八年)八月の集中豪雨であった。
 自衛隊もヘリコプターなどを使い、救援活動を開始したが、当然、それだけでは人手が足りない。学会の派遣隊は、川に掛けられたロープを使って、濁流を越え、孤立した集落に救援物資を運んだ。派遣隊が背負った物資の荷物には、同志のための「聖教新聞」もくくりつけられていた。
 派遣隊は、皆の安否を確認して歩いた。学会員にも、家屋の流失や全壊、半壊の被害が出たが、死者や負傷者はいなかった。同志は、安全な場所に集まり、「わしらには山本先生がついちょる。必ず変毒為薬していこう」と、再起を誓い合った。
 五木村では、集中豪雨での同志の奮闘が、大きく学会理解の輪を広げる結果となった。
 「学会の派遣隊の救援活動のおかげで食事ができ、本当に助かった」「学会の人が、自身も被災しながら、派遣隊と一緒に救援活動する姿に、勇気を得た」と語る人もいた。さらに、被災者である学会員が、元気に皆を励まして歩いていることから、「信仰をもつ人の強さを知った」という人も多かった。
 非常事態は、人間のさまざまな虚飾を取り除く。その時、信仰によって培われた人間性の地肌が、輝きを放つのである。 (聖教新聞 2012-05-16)