「祈り」が脳に与える影響

2012年5月18日(金)更新:6
【文化 前向きだと快感物質が分泌 ネガティブな感情はストレスの元】
〈“共に成長”の視点が重要〉
 近年、fMRI(ファンクショナル磁気共鳴画像法)など測定機器の発達によって、脳科学の分野では多くの発見がありました。そんな脳科学の最先端分野の研究成果をもとに、祈りについて考えてみたいと思います。
 「祈り」と一言で言っても、その内実は千差万別。利己的なものから、世界平和を願うようなものまで、さまざまです。ただ、脳に与える影響で考えてみると、大きく二つに分けることができます。それはネガティブな祈りとポジティブな祈りです。
 嫌いな人に対して、何か悪いことが起きるようにと祈るのがネガティブな祈り。このような祈りは脳に悪影響を与えることが分かっています。
 ネガティブな感情を持つときには、ストレス物質であるコルチゾールが分泌されます。この物質が脳内で過剰に分泌されると、記憶に重要な役割を持つ「海馬」が萎縮してしまいます。
 一方、ポジティブな祈りの場合は、β(ベータ)エンドルフィンやドーパミンオキシトシンなど、多幸感をもたらす脳内快感物質が分泌されます。これらは脳を活性化させ、体の免疫力を高めるなどの働きが分かっています。
 ただ、ポジティブな祈りであっても、自分が「勝ちたい」と思うあまり、「他人を蹴落としたい」という状態だと、アドレナリンやノルアドレナリンが分泌されることになります。これらは体を戦闘状態に置くためのホルモンです。
 生物として生き残っていくために、戦って勝つということは大切なのですが、常に戦闘状態にあるのは好ましくありません。
 では、勝ちたいと思うときに、どのような祈りにすればよいのでしょうか。相手の失敗や不幸を願うのではなく、共に成長していこうという祈りが重要になります。
 脳内物質のオキシトシンは、別名「愛情ホルモン」とも呼ばれます。大切な誰かのことを思うとき(男女の別なく)オキシトシンが分泌されます。つまり誰かのために祈ること、自他ともの幸福を祈ることが、善い祈りになるのではないでしょうか。

〈共感が種の存続に必要〉
 他人のために祈り、行動するというと、自己犠牲的な行動のように思えますが、生理学研究所(愛知県)の研究で「人間は利他の行動によって、大きな快感を得ているのではないか」ということが明らかにされつつあります。
 私たちは、褒められたり、他者から評価をされたりすると、大脳皮質の奥にある「報酬系(測坐核や腹測被蓋野など)」と呼ばれる部分が活動し、喜びや快感を覚えます。さらに、私たちの脳には、「社会脳」と呼ばれる、自分の行動を監視して「善いこと」「悪いこと」を判断している部分があります。内測前頭前野です。この働きによって、他人の評価がなくても、善いことをしていると報酬系が活動するのです。
 人間は、合理的に行動すると思われがちですが、そうとばかりはいえません。
 一例を挙げると「独裁者ゲーム」。A君とB君の2人がいてお金を分けることを考えます。A君だけが自由にお金を分配できるとき、どのように行動するでしょうか。
 合理的に考えると、10―0にするのが一番得です。しかし実際には、8―2とか7―3にしてしまうケースが多いようです。「いい人に思われたい」という機能が働いて、相手に「2」「3」を与えてしまうのです。
 面白いことに、先進国で高学歴の人ほど、ずるい判断(合理的な判断)をする傾向があります。確かに得をすることで幸福感を感じる機能が脳にはあります。しかし、合理的でない判断の中にも幸福感は隠されているのです。それらを忘れ、合理的な判断を優先させてきたところに、経済成長を遂げた日本の幸福度が低いことの原因があるように思えるのです。
 また、近年明らかにされてきたミラーニューロンの働きもあります。ミラーニューロンは、もらい泣きやもらい笑いなど、いわゆる感情移入してしまう働きだと考えられています。これによって、共感が生まれ、相手を助けたいと思うようになるというのです。
 個体としての生き残りを考えると、ミラーニューロンは邪魔な働きでしかありません。しかし、種としての存続を考えると必要なことなのです。猛獣などの敵に襲われたとき、自分一人だけが生き残っても種の存続はできません。集団で生き残るカギとなるのがミラーニューロンだったのです。
 人間が、食欲や睡眠欲を満たしたときに快感を覚えるのは、それが生き残ることにつながっているからです。同じように、利他の行動によって快感を覚えるというのも、人間が集団で生き残ることに直結しているからなのです。どれもが生き残りのために大切な仕組みです。バランスよく発揮させていくことが大切なのです。
 なかの・のぶこ 脳科学の分野から「人間」についての研究をしている。著書に『脳科学からみた「祈り」』がある。
       (聖教新聞 2012-05-18)