幸福を願う彼の一途な求道は、広宣流布という極善の峰へ到達したのだ

2012年5月30日(水)更新:2
【新・人間革命 人材城 四十三】
 昭和に入ると、時代は、軍国主義化の度を深め、「滅私奉公」が声高に叫ばれていった。そのなかで、個人主義にも、全体主義にも偏ることのない牧口常三郎の教育思想は、軍部政府の政策とは、相反する原理であった。
 また、日蓮仏法と出合った牧口は、その教えを価値論の画竜点睛とした。
 彼は、社会的価値である「善」には、人びとに金品を施すことなど、さまざまあるが、現世限りの相対的な「善」ではなく、「大善」に生きることを訴えた。
 牧口のいう「大善」とは、三世永遠にわたる生命の因果の法則に基づく生き方である。つまり、法華経の精髄たる日蓮仏法を奉持し、その教えを実践し、弘めゆくなかに「大善」があり、そこに自他ともの真実の幸福があるというのが、牧口の結論であった。
 彼は述べている。  「吾等各個の生活力は悉く大宇宙に具備している大生活力の示顕(じげん)であり、従ってその生活力発動の機関として出現している宇宙の森羅万象――これによって生活する吾吾(われわれ)人類も――に具わる生活力の大本(おおもと)たる大法が即ち妙法として一切の生活法を摂(せっ)する根源であり本体であらせられる」(注1)
 そして、その妙法を根本とした生活法を、「大善生活法」と名づけた。この大善生活法を人びとに伝え、幸福の実験証明を行うことに、彼は、生涯を捧げたのである。
 いわば、広宣流布という菩薩の行に生き抜くなかに、自己の幸福が、そして、社会の平和と繁栄があると、牧口は訴えたのである。
 子どもの幸福を願う彼の一途な求道は、広宣流布という極善の峰へ到達したのだ。
 牧口が、獄死の約一カ月前に家族に送った葉書には、こう記されている。
 「百年前、及ビ其後ノ学者共ガ、望ンデ、手ヲ着ケナイ『価値論』ヲ私ガ著ハシ、而カモ上ハ法華経ノ信仰ニ結ビツケ、下、数千人ニ実証シタノヲ見テ、自分ナガラ驚イテ居ル。コレ故、三障四魔ガ紛起スルノハ当然デ、経文通リデス」(注2)

■引用文献  
注1 「価値創造」(『牧口常三郎全集10』所収)第三文明社=現代表記に改めた。 
注2 「書簡集」(『牧口常三郎全集10』所収)第三文明社
      (聖教新聞 2012-05-30)