池田名誉会長の訪中から38年 日中友好の懸け橋を永遠に

2012年5月30日(水)更新:3
【社説】
 今月、中国・貴州省貴陽市で第13回「中日友好交流会議」(主催=中国「中日友好協会」、(社)日本「日中友好協会」ほか)が開かれた。席上、中日友好協会の唐家セン会長(元国務委員)は、「両国が担うべき共通の責任は大きくなる一方で、両国関係の重要性は日ごとに高まっている」と指摘。国交正常化から40年を経て、両国の関係は新たな段階を迎えている。
 1974年5月30日、池田名誉会長は中国を初訪問。政治や経済の次元ではなく、あくまで民間人として、平和を願う一仏法者として、万代にわたる日中の友好を築こうとする決意の発露であった。

 〈逆風の時に信義の道貫く〉
 訪中に先立つ68年には「日中国交正常化提言」を発表。この前年は大手新聞社の北京特派員が追放され、「LT貿易」(日中総合貿易に関する覚書)の延長交渉が難航するなど、「日中関係が最も冷え切った“逆風”の時」(民放連の桑田弘一郎元会長)だった。実際、提言の発表後は「宗教団体の指導者が、なぜ“赤いネクタイ”をするのか」とやゆされ、激しい非難・中傷にさらされた。
 しかし、“日中友好なくして、アジアと世界の平和はありえない”との信念のもと、名誉会長は10度にわたり訪中。周恩来トウ小平江沢民胡錦濤ら歴代の指導者と、時代を超えて信義と友好の道を貫いてきた。
 初訪中の折、通訳も務めた唐家セン会長は、名誉会長の行動について、こう証言する。「歴史の変遷を見れば、中日関係の肝心な節目の時に、池田先生がいつも先頭に立って友好を訴え、支持してくださったことが分かります」

 〈先見の行動が共感を呼ぶ〉
 今月11日、創価大学で開かれた「池田研究フォーラム」には中国の研究者7人が出席。名誉会長の思想に注目する理由を、感慨込めて語っていた。
 「あの時代に中日の国交正常化を提言するなんて、よほどの見識と勇気がなければできません。一体どんな方なのかと思い、研究を始めたのです」(広東外語外貿大学の韋立新教授)
 「池田先生の提言を知り、池田先生の先見の行動を知って、中国人として感謝の念が湧きました。そして、その感謝を行動に起こしたいと強く願うようになったのです」(清華大学の馮峰教授)
 国と国の関係といっても、人間と人間の交流から始まる。先人が切り開いた友好の歴史に、勇んで続きたい。  (聖教新聞 2012-05-30)