SUAは創立者の教育・平和・人間主義への情熱の結晶―ヤーマン博士

2012年6月2日(土)更新:2
アメリ創価大学 第8回卒業式から 記念講演 ハーバード大学名誉教授 ヌール・ヤーマン博士】
創立者池田大作氏は、自身の数え切れないほどの著作・活動を通して、平和、相互理解、国際的対話、そしてドグマ(独断的な考え)なき人間主義への情熱を示してこられました。
 人類の禍根である核兵器の廃絶に向けた創価学会の運動における卓越したリーダーシップ、そして人々の相互理解を促進するために行われてきた、世界の指導者との弛みなき対話、国連やユネスコに対する尽力は、真に伝説的な偉業です。
●私が伝説や神話、儀式に彩られた長い歴史について言及したのは、人類の有史以来、私たちホモ・サピエンスの文明化を試みてきたのは宗教であると強調したいからです。
●宗教には二つの基本的な機能があります。
 一つは、混沌の中に秩序をもたらすことです。それは、コミュニティーにおいて道徳をもたらすよう導いていくことです。一定の倫理的人生やコミュニティーの秩序と平和を維持し、感情を理性で統制することが、宗教の社会的役割に含まれます。恐怖を追放し、未来、そして死後への希望を与えるのです。
 もう一つは、宗教がアイデンティティーの源泉となることです。古代においてコミュニティーは、他の、特に対立する信仰との比較を通して定義されてきました。そして、この二つ目の役割こそが、長い歴史の中で常に誤解や争いを生み、暴力を助長してきたのです。
●実際、宗教も文明も、一枚岩ではありません。
 コミュニティーや文明を、あたかも統一された一枚岩であるかのごとくアイデンティティーを定義するような試みは、偽物の具体性しか持っていないのです。
 キリスト教、仏教、イスラムユダヤ教の文明といった一般化された文明について話をするとき、このような大きなコミュニティーが単純なものであるわけがありません。
 「文明」について抽象的に話をすることはできます。しかし、私たちが陥りがちな、具体性を離れた虚構でしかない全体化や単元的な一般化こそが、他者恐怖症――「他人」に対する恐怖へとつながるものなのです。
 マスコミはこの単純化された「他者」の描写を最大限に利用します。単純化することで世界を分かりやすく捉えることはできます。しかし、「恐怖」はとても大きな力を持った感情です。この未知なるもの、異種の人間に対する恐怖は、往々にして誇張され、いとも簡単に操ることができるのです。
 私たちが、複数のアイデンティティーを持つなかで、まとめて一人の個人となっていることは、曲げようのない事実であります。
アンドレ・ジッド(フランスの作家)が、かつて言ったように、「個人こそが、最もかけがえのないもの」なのであります。
●スペインにおけるイスラムユダヤキリスト教徒の長い世紀を超えた密な関わりは、最も重要な発明の一つをアジアからヨーロッパに伝播せしめました。
 その発明とは、数学における“0(ゼロ)”の概念です。現代数学が成り立っているのはこの“0”の概念のおかげであり、これによって、現代の私たちの技術的魔法が可能になったのです。
 共感すること、他者を受け入れること、そして他者の持つ思想への敬意は、文明化の過程において必須の側面であります。
 私たちの心の中の、人を中傷する「レッテル」や「プロファイリング」、知らざる者への疑念、「他人」に対する恐れなどは全て、思想交流の豊かさを見ることの妨げとなるのです。
 これは、予期せぬ創造力の可能性を蝕みます。これら「文化的妄執」とも呼ばれる心情は、近年ヨーロッパにおいて広く蔓延している病理であり、私たちの眼を厚いベールで覆ってしまいます。「枠組み」にのみ視点を当ててしまうことで、その奥に存在する尊き「個人」の姿を真に理解できなくなってしまいます。
 私たちは、分からないことや不慣れなことに対する恐れによって、人類の自由を損なわないようにしなければなりません。
●終わりに、池田大作氏の人生をかけた、卓越した事業に対して、再び深い感謝を述べさせていただきたい。
●核軍縮、思想の自由、そして人権に関する池田氏の極めて重要な思想が、遍く伝播しゆくことを願ってやみません。
      (聖教新聞 2012-06-02)