苦しみの意味を知った時その苦しみすら前進の糧に変えることができる

2012年6月13日(水)更新:3
【名字の言】
 小学校の教壇に30年以上立ち続けている壮年が、クラスの学級崩壊に悩んでいた
 その時、池田名誉会長の「わが教育者に贈る」の一節が目に飛び込んだ。「うんと手のかかる子や、難しい保護者の方などは、自分がきっと過去世に何かでお世話になった方と思い、その恩返しと決めて、真心込めて接していこう」。仏法の永遠の生命観からの指導に希望が灯った
 歯科技工士として60年近くになる別の壮年は、上顎洞がんの宣告を受けた。右のほおの奥の部分だ。壮年を支えたのは、妻と3人の娘の聡明な励ましだった。「口の中の仕事をしてきたお父さんが、口の中の病気になったのだから、何か意味があるよ」。ほおに手を当てて壮年は考えた
 長年、歯の矯正の仕事を一筋にやってきた。でも自分には、新たな使命があるのかもしれない。それは、自分と同じように、がんでほおを切除する人のために、ほおの形成の研究に取り組むことだ、と。先月、11時間の手術を越え、再起に向け闘病を続けている
 苦しみの意味を知った時、人はその苦しみすら前進の糧に変えることができる。生命の力は素晴らしい。また苦しみによって磨かれた生命の鏡には、真に「生きる」ということの意味が映し出されるに違いない。(聖教新聞 2012-06-13)