妙法に信伏随従しきっていく。そこに「成仏」への根本の因がある

2012年6月21日(木)更新:3
・斧節『いかなる人も他を信じさせることができるほど己を信じさせることができない』
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20120621/

・香風『揺るがぬ自己を築け』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20130602/

●「信」とは「疑い無きを信という」とあるとおり、法華経に対して疑いがないということである。「伏」とは法華経に帰依し、伏することである。「随」とは心を法華経に移すことである。 (御書756ページ、通解)
末法における法華経とは、三大秘法の御本尊である。「信伏随従」とは、御本尊を信じ、御本尊に帰命し、御本尊に心も身体もささげきっていく。心でも信じきり、体でも自行化他の広布の実践に生ききっていくことである。
 御本尊に広布の誓願を立てて唱題し、何があろうと不退転の行動を貫いていく。妙法に信伏随従しきっていく。そこに「成仏」への根本の因がある。 (御指導、1989-10-15)

御本尊様を心の底から信じきってお題目を唱え続ければ、必ず、どんな人でも、幸福を実感できる凄い信心なんですよ。
決して、勢力拡大の為に折伏があるんじゃないですよ。相手に幸せになってもらいたい、生きる喜びを実感してもらいたいがゆえに、語らずにはいられないのです。
創価の信心は、力の支配ではなく、「温かな心の世界」です。その「大慈大悲」の最たる存在が池田先生です。素晴らしい師匠に巡り合えたことが、既に幸運だと思いませんか^-^☆!