人生に勝利するための信仰 社会の中での実践

2012年6月25日(月)更新:2
【みんなで学ぶ教学 〜新会員のために〜】
創価学会員はなぜ生き生きと輝いているの?
●現実の課題に挑戦する中で生命が磨かれるからです

〈信心即生活〉
 一般に、信仰を日常の生活から離れた特別な世界のことであると考える捉え方があります。しかし、日蓮大聖人の仏法においては、信仰と生活とは、そのように切り離されたものではありません。
 御書には「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」(御書1295ページ)と仰せです。
●現実の社会、日々の生活が、そのまま仏法を実践する場であり、信心を錬磨する舞台であることを教えられています。
 信心は、私たちの生命を変革し、充実させていく力となります。ゆえに、生活の場で直面するさまざまな課題に対して、御本尊への唱題を根本に真剣な努力を重ねていった時に、その現実の中での挑戦そのものが、私たちの仏界の生命を湧現させる機縁となり、自身の生命変革の舞台となるのです。
 また、信心で開拓した生命力を土台にして、生活の場に勇んで出ていった時に、生活そのものもよい方向へと変わっていきます。
 信心を草木の根に譬えるとすれば、生活は、豊かな果実を実らせる幹や枝に譬えることができます。信心の根が深いほど、磐石な生活を築いていけると説くのが、日蓮大聖人の仏法です。
 日蓮仏法においては、信心と生活は一体です。ゆえに創価学会の指導では、「信心即生活」といって、生活はその人の信仰を根本に生活に勝利していくべきことを説いているのです。

〈人の振る舞い〉
●「教主釈尊の出世の本壊は人の振る舞いにて候けるぞ」(御書1174ページ)
 釈尊が仏法を説いたその根本の目的(出世の本壊)は、人間としてどう生きるべきかを示すことにあったとの仰せです。
 人間社会にあって良識ある振る舞いを貫き、人格の輝きをもって、職場・地域などの身近な人々から信頼され、尊敬される存在となっていくことが、信心の何よりの証しです。
 最高の「人の振る舞い」とは「人を敬う」行動です。具体的には、万人の生命の中に仏の生命があると捉えて、その仏の生命を尊重し、万人を敬っていく実践です。
●仮に、その人自身が自分の仏界をまだ自覚していなくとも、生命の可能性としては誰もが仏の生命を具えています。ゆえに、万人を「仏子(仏の子)」として尊重していくことが仏法実践の精神となるのです。
 末法である現代は、人々の迷いの生命が強くなり、他人を妬んだり、人間を軽んじ差別し、道具化する思想が充満する時代です。そうした濁った社会の風潮を変え、人間自身の境涯を高めていくためにも、最高の人間尊敬である「人の振る舞い」を実践していくことが大切になります。
 池田名誉会長は語っています。
 「広宣流布といっても、自分の振る舞いにかかっている。一つ一つ、具体的に祈る。一人一人、大誠実で語る。一歩一歩、粘り強く進む。一日一日、思い切り戦う。その真剣な努力のなかで、広宣流布の大願に立つ地湧の友は必ず続く。地域は必ず変わる。未来は絶対に開けます」
 日蓮大聖人は、代表的な門下の一人である四条金吾に対して「中務三朗左衛門尉(四条金吾)は主の御ためにも仏法の御ためにも世間の心ねもよかりけり・よかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ給へ」(御書1173ページ)と仰せになっています。
 信仰の上だけでなく、仕事の場でも、生活の場でも、人々から称えられる生き方を目指して挑戦することが、真の日蓮仏法の実践にほかならないのです。
      (聖教新聞 2012-06-24)