最も苦しむ庶民の視点から未来のための新たな学問を

2012年6月26日(火)更新:3
【心の福光へ――東北学生部のシンポジウムから テーマ 3・11「東日本大震災」以後の学問のあり方 東北大学大学院 安田喜憲教授】
 英国の歴史家トインビーはオックスフォード大学で、ギリシャの歴史家ツキディデスの『歴史』の講釈をしていました。
 その最中、1914年に第1次世界大戦がヨーロッパで勃発したのです。
 そして世界が戦争の渦に巻き込まれようとしているその時代は、2300年前にツキディデスがペロポネソス戦争の歴史を書いたその時代と、同じだと考えた。2300年前に生きたツキディデスも、同じ不安、脅威、恐怖、危機を感じていた――その「同時代性の発見」が大著『歴史の研究』を書くきっかけとなったのです。
 そのトインビーがなぜ、池田名誉会長に対談を申し込んだのか。3・11の震災が起こって初めて、その人類史的な意味が分かってきました。それは、日蓮大聖人の時代にまでさかのぼります。
 日蓮大聖人が生まれた当時、鎌倉で大地震が起こります。日蓮大聖人は1260年に、「立正安国論」をだされますが、これは3年前に起こった正嘉の大地震の惨状を書いたものです。
 大震災の時に一番苦しみを味わうのは庶民です。その庶民の苦しみを見るに見かねて、「立正安国論」を執筆した。弱い者の立場でものを考える。これが「立正安国論」の根底をなすものです。
 学問もまた、弱者の視点に立ってやらなければいけない。それが「立正安国論」の教えであり、創価学会の教えです。皆さんの両親の世代がしてきたことであり、次代を担う皆さんが目指すべき学問の姿勢であると思います。
 日蓮大聖人が生きた時代と今の時代は、まさに「同時代」です。大きな地震が起こり、多くの庶民が途端の苦しみを味わっている。政治は混乱している。危機の時に民衆が苦しむという構図は、全ての時代に共通しています。そうした時に、新しい科学によって新しい文明の時代を志向していくのです。
 私の専門は環境科学です。どうしても技術に走るから、いつの間にか原子爆弾を作ることに加担していた、というのが今までの科学でした。興味があることを突き詰めればいいのだと、ある意味で容認していた。
 それはまさに、池田名誉会長の言われる生命の尊厳を無視した科学です。私は「物質エネルギー文明」と呼んでいます。物質・エネルギーさえ豊かになれば、人間は豊かになれると考え、どんどんお金とエネルギーを投入してきた。
 しかし、もうそれはできない時代に入ってきました。日本では1980年代後半からすでに、お金とエネルギーをどんどん投入しても、人々の幸福度、生活の満足度は下がっているのです。
 ですから、これからは「本当の豊かさとは何か。本当の幸せとは何か。生きることとは何か」が問われなくてはいけないのです。科学をやっているということ、技術を開発しているということが、実際に人々のためになっているのか。社会のため、地球のため、文明のために、どうなのかということを裏付ける倫理や哲学をもつことが重要なのです。
 私は、創価学会に所属している学生たちが一つの大きな力を果たすと考えます。それは何よりも、技術論に走っていないからです。基本となる生命の尊厳、哲学、倫理というものをきちんと理解しているからです。
 池田名誉会長は、春のこない冬はないとおっしゃられています。困難に直面しているということは、新しい未来があるということです。今、東北は3・11で大きな困難に直面していますが、それは新しい未来への一里塚なのです。
 私は今、東北大学で教えていますが、3・11を契機に学生は皆、新しい時代をつくるにはどうしたらいいかと真剣に考えはじめている。21世紀の未来を切り開けるのは君たちの世代です。君たちこそが、新しい未来を切り開く――そう思って努力していただきたいと念願しています。
      (聖教新聞 2012-06-25)