正法正義の大道に大難あり――その道理を悟ることが覚悟の信仰なのだ

2012年6月30日(土)更新:4
【新・人間革命 厚田 十三】
 山本伸一は、凛とした声で話を続けた。
 「本日は、『破信堕悪(はしんだあく)御書』の一節を拝したいと思います。
 『釈迦仏は三十二相そな(具)わって身は金色・面は満月のごとし、しかれども或は悪人はすみ(炭)とみ(見)る・或は悪人ははい(灰)とみる・或は悪人はかたき(敵)とみる』(御書一三○三ページ)
 この釈迦仏とは、三十二相といわれる仏としての優れた身体的特質を備えた、インド応誕の釈尊であります。釈尊は、仏として人びとから最高の尊敬を受けておりました。それでも、心の曲がった悪人は、金色に輝く仏を、炭と見たり、灰と見たり、敵(かたき)と見てしまうとの意味であります。
 その釈尊に対して、御本仏・日蓮大聖人は、凡夫の姿で、悪世末法に出現された。したがって、大聖人が数々の大難に遭われたのは、当然と言えましょう。
 いわんや、われらは凡愚の身であり、民衆、信徒です。その私どもが、大聖人の仰せ通りに、広宣流布を現実のものとしてきた。軽んじられてきた庶民が、最も尊い聖業を担ってきたのであります。さまざまな難が、北風が、怒濤が、嵐が吹き荒れるのは、これまた当然のことと言わざるを得ません。
 ゆえに、牧口先生、戸田先生は投獄され、牧口先生は命をも奪われました。私の人生も相次ぐ迫害の連続でした。御書に照らして、当然、これからも、わが学会には、激しい北風の突風が吹くでありましょう。
 しかし、絶対に負けてはならない。絶対に屈してはならない。北海道の同志の皆さんは、『覚悟』を定め、この学会の新しき原点の地から、凛々しく出発し、北海道広布のため、自身の一生成仏のために戦い抜いてください。そして、また、ここに帰り、三世永遠に、勇猛果敢なる広布旅を続けようではありませんか!」
 「覚悟」とは、本来、迷いを去り、道理を悟ることだ。正法正義の大道に大難あり――その道理を悟ることが、覚悟の信仰なのだ。  (聖教新聞 2012-06-29)