バスボイコット運動・夕張事件・大阪事件 民衆の心揺さぶる勇気の声

2012年7月5日(木)更新:1
ヒューマンライツ55 創価の人権闘争を語る キング博士とSGI会長(上) アメリカの歴史学者 アイリフ神学校名誉教授 ビンセント・ハーディング博士】
●博士 戦争に限らず、闘いは、敗者によって未来の良き因がつくられ、良き結果が生み出されていくということです。勝者は勝利に酔い、次の闘いも同じような戦略で勝てると思い込んでしまいます。そこからは、新しい教訓を得ようとする意志も、可能性も、生まれてはこないのです。
 一方、敗者は、その敗北の体験を深く見つめ、体験に学ぶことができます。そこに未来の新しい可能性の萌芽が生まれるのです。インドにおいてはガンジーの非暴力の独立運動が、日本においては創価学会による民衆運動の興隆が、それです。

*戦後10年余、創価学会の民衆運動は、大きく興隆し始めました。同時にそれは、民衆の勢力の台頭を恐れる権力による抑圧を招くことになりました。
 1957年(昭和32年)に起きた「夕張炭労事件」「大阪事件」が、それです。SGI会長は矢面に立ち、民衆を守り、また運動をリードしました。
 その前年、海を越えたアメリカ南部のモンゴメリーの地で「バス・ボイコット運動」が広がり、それを指導するキング博士の家に爆弾が仕掛けられるなど、弾圧が強まっていきました。キング博士はこうした迫害と、どう闘ったのでしょうか。また、民衆は、それをどのように支えていったのでしょう。
●博士 公民権の運動はまず、一般の民衆が起こしたものであることを銘記する必要があります。
 キングは、その運動のスポークスパーソン(代弁者)として招かれたのです。
 しかし、スポークスパーソンは「民衆の声」の代弁者であると同時に、「運動の顔」ともなる存在です。したがって、弾圧のほこ先がキングに向けられていったのは、必然のことでした。
 しかし彼は、弾圧の脅威に、いささかもたじろぎませんでした。迫害する勢力に爆弾を仕掛け、復讐しようなどとも考えませんでした。
 誰人も、何事も、自由を求める運動を止めることはできないと言い切り、前に進み続けたのです。不屈の精神の力をもって、迫害への応答としたのです。
 彼の生命を案じて、運動から身を引くよう忠告する声を耳にしても、“わが身の危険をかえりみず、人々のために闘うことこそ、指導者の生きる道”と、その決意には一点の曇りもありませんでした。
 こうした彼の言葉、振る舞いが、人々に限りない勇気を与え、運動に献身する深い決意を育んでいきました。
 それを機に、運動はより大きな広がりを示していったのです。

*池田会長も不当な弾圧に正面から対決し、闘い抜きました。正義を実証することこそ迫害への最良の応答と、非暴力の強き信念の行動を貫きました。
 その姿が、人々に民衆の勝利の時代を開く限りない勇気と希望を与えました。
●博士 キングについては、その巧みなるスピーチが人々に希望と勇気を与えた、と言われています。
 しかし、その言葉は、心の奥底の真情から発せられたものであることを忘れてはなりません。
 いかなる名演説であっても、それが偉大な勇気と信念の実践に裏打ちされた真情の発露でなければ、決して、人々の心を揺り動かし、新たなる時代を開く力とはなり得ないからです。
 ともあれ、真の民衆運動は指導者と民衆の相互の啓発によって深化し、発展していくものなのです。
 そのためにはまず、民衆自身が、自らの胸奥に運動への確たる動機と確信を持つことが不可欠です。その力を引き出すのが、指導者の不屈の精神と実践なのです。
 それによって立ち上がった民衆の姿が、今度は、指導者自身の新たな勇気と決意の源となっていくのです。
 この民衆と指導者の相互の啓発と共感こそが、公民権運動の歴史の真実そのものであったのです。 (聖教新聞 2012-07-05)