法華経の行者の使命 皆を幸福の軌道に導く実践者

2012年7月10日(火)更新:5
【教学論宛 法華経の行者の使命 皆を幸福の軌道に導く実践者】
〈弟子の模範となる戦い示す〉
 「“牧口先生、戸田先生の青春の故郷に、敗北の汚名を残してなるものか!”
 “師弟有縁の神聖なる天地に、必ず輝しき正義の旗を打ち立ててみせる!”。これが、常に変わらぬ、私の決心であった」(「随筆 新・人間革命」〈北海道の大闘争〉から)
 「小樽問答」「札幌・夏の陣」「夕張炭労事件」――。「北海道の三大闘争」は、若き日の池田名誉会長が、北海道の友と築いた栄光の歴史である。
 いかなる障魔との攻防にあっても、弟子が勇敢に戦い、師匠に勝利の報告をする。真の弟子の模範の戦いを、池田名誉会長は北の大地で示された。三代城・北海道の誇りが、ここにある。
 1997年(平成9年)8月。名誉会長は北海道の同志に、次の御書の一節を贈った。
 「三類の敵人を顕さずんば法華経の行者に非ず之を顕すは法華経の行者なり」(御書441ページ)との御文である。
 三類の強敵を出現させ、身を賭して戦い、障魔を完膚なきまでに粉砕する。そこに「法華経の行者」の使命がある、との御教示である。北海道広布の歴史を考えるとき、最もふさわしい御文といえよう。
 その当時も、悪侶や反逆者、そして一部の政治家やマスコミなどが結託し、北海道を舞台に、卑劣な手段で謀略の牙をむけてきていた時だった。
 それだけに、この御文が、どれほど北海道の同志の支えとなり、勇気と希望を与えたか、計り知れない。

〈55周年迎えた「夕張闘争」〉
 思えば、広布の草創期以来、北海道は常に三類の強敵との戦いの“主戦場”だった。「人間のための宗教」復権への淵源となった「小樽問答」しかり、「信教の自由」を守るという人権闘争となった「夕張炭労事件」しかりである。
 三代城・北海道には、「三類の強敵」を出現させ、戦い抜き、障魔を壊滅してきた不滅の金字塔が輝いている。
 中でも、今年55周年の節目を迎えた「夕張闘争」は、「信教の自由」への圧迫に対する正義の戦いとなった。
 事件が起きた57年(昭和32年)当時、日蓮大聖人の立正安国論の御精神を具現化しようと、急速な伸展をみせる創価学会の存在は、社会の注目を集めるようになっていた。
 この前年、実施された国政選挙で、学会が推薦した3人の候補が当選。夕張市でも、2500を超す票が、学会の推薦候補に入った。それは夕張市内で、炭労の推す候補に次ぐ、第2位の得票数であった。
 学会の発展に対する脅威の思いは、やがて既得権益を守ろうとする勢力からの烈風に変わっていく。
 本来は労働者の権利を守るための労働組合が、信教の自由という基本的人権を抑圧する暴挙に出たのである。以来、夕張の学会員は、組合の統制を乱すものとして、陰に陽に排斥される。

〈「一人」の心をいかに開くか〉
 一般に、政治や経済などの次元では、人間を「マス(集団)」として俯瞰(ふかん)する傾向が強い。
 とりわけ、哲学が不在で、自律した個人を育む精神性の希薄さが指摘される日本社会では、「長い物には巻かれろ」「寄らば大樹の陰」など、政治権力や権威に猛獣する事大主義的な精神風土が根強く、宗教すら、人々を支配する権力の“装置”と堕していた。そこでは、「集団」や「数の力」が最優先され、「個人」はいつも“二の次”にされてきた。
 それに対し、マス(集団)の視線からは、決して顧みられることのない、一人一人の民衆の不幸や悩みをすくいあげ、生きる勇気と希望を与えたところに、創価学会の発展の要因があった。
 「衆生といっても、抽象的な“不特定多数”ではない。マス(集団)ではない。目の前の『一人』の心を、いかに開くのか。具体的な『この人』を、どう蘇生させるのか。その心が仏法の心なのです」(『法華経 方便品・寿量品講義』)と名誉会長は記している。
 “保守勢力”であれ、“革新勢力”であれ、人々をマス(集団)として捉え、体制内、また系列内に押さえ込もうとする政治的な勢力からすれば、個人の自律を促す創価学会の運動は、既成の体制を揺るがす存在として、許容しがたいことといえた。
 ここに「法難」が起こる、原理的な必然性があった。
 国政選挙をきっかけとして、57年夏、相次いで起こった「夕張炭労事件」と「大阪事件」は、まさに、起こるべくして起こった「法難」であった。
 当時のマスコミの論調にも、炭鉱労働者から遊離する労組幹部の「“労働貴族”化」や上位下達の官僚主義など、組合組織の課題を指摘する論調が散見され、なかには「労組自体の中に真のヒューマニティーの感化力が欠けている」(読売新聞)などの指摘が見られていた。

〈悩める同志に真心の励まし〉
 炭労による理不尽な抑圧が続いていた57年、池田名誉会長は、3度にわたって夕張の同志の激励に赴いた。
 名誉会長は、一軒また一軒と家々を訪ね、一人一人の悩みに耳を傾け、真心の励ましを重ねた。未入会の夫を抱える婦人部員、病弱の父を助け、懸命に家業を支える女子部員、障がいのある子どもを持つ父親、大学進学に悩む高校生等々……。
 皆、多くの悩みを抱えていた。御書を拝し、また自身の体験を通し、種々の悩みを抱え、不安と絶望の日々を送る一人一人の心に、希望と勇気の花を開かせていく名誉会長。
 仏法は観念論ではない。現実の「一人」の人間を、どう救うかである。どう、その人の心を開き、「よし、生き抜こう!」と、生きる勇気を湧き立たせていくか。そこに宗教の魂があり、法華経を持つ者としての戦いがある。
 名誉会長は、夕張に向かった時の気持ちをこう語っている。
 「私は海苔屋の息子だから、『板子(いたご)一枚下は地獄』という漁師の気持ちがよくわかるんだ。夕張の同志は、もっと危険なところで働いている。その同志が理不尽ないじめにあっているんだ。黙ってみていられるわけがないじゃないか!」
 人々を幸福にする。徹して一人を大切にする。
 そこにこそ、法華経の教えの真髄があるといえよう。
 法華経の行者とは、まさに一人を大切にし、人々を幸福の人生軌道に導く実践者の謂(いい)でもある。

〈「法華経の敵」を徹して責めよ〉
 反対に、人々を不幸にし、幸福に向かうことを妨げる者や勢力、働きを「法華経の敵」という。
 釈尊が入滅する直前、一番喜んだことは一体何であったのか。それは、弟子たちが「法華経の敵」を強く責めると誓ったことである。
 「祈祷抄」には、入滅という嘆きの場にあって、“法華経の敵とは断固、戦う”との菩薩たちの誓いを聞いた釈尊が、伏せていた体を起こし、「善きかな、善きかな」とほめたたえた場面が描かれている(御書1351ページ、趣旨)。
 このやりとりについて、日蓮大聖人は、「諸菩薩は仏の心を推し量り、『“法華経の敵を討ちます”と申し上げれば釈尊は(喜ばれて)少しでも長生きしてくださるであろう』と思って、一人一人、(闘争の)誓いを立てたのである」(同ページ)と述べられている。
 人々の幸福への軌道を妨げる「法華経の敵」と戦い、勝利すること、それこそが、師匠に応える法華経の行者の戦いである。
 「北海道には、師弟一体で、三類の強敵と戦い勝ってきた不滅の金字塔が、いついつまでも光っている!」(「随筆 人間世紀の光」〈北海道に輝け三色旗〉から)と、池田名誉会長は記している。
 創価の三代の師弟の魂を受け継ぐ北海道。日本列島の頭上に宝冠のように輝く北海道から、さらなる勝利への大前進を誓うものである。 (聖教新聞 2012-07-10)