彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり(御書p1190)

2012年7月15日(日)更新:2
・斧節『茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第651回「自分の関わる集団を、多様にすること」』
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20120711/
●いつの世でも反逆者たちは、もっともらしい言辞を弄(ろう)して、みずからの行為を正当化するものだ。 (御指導、1988-05-22)
法華経の行者とは、まさに一人を大切にし、人々を幸福の人生軌道に導く実践者の謂(いい)でもある。
 反対に、人々を不幸にし、幸福に向かうことを妨げる者や勢力、働きを「法華経の敵」という。 (「法華経の行者の使命 皆を幸福の軌道に導く実践者」 聖教新聞 2012-07-10)


・斧節『安全なポジション』
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20111119/
●自ら省ること能わざる(御書718ページ)!


・斧節『お前は仲間かそれともアンチか』
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20111001/
●あなたは、(法華経の行者である)日蓮を誹謗しようとすることで、仏の未来記を虚妄にする者である。それこそ、大悪人ではないか (御書507ページ、通解)!
●(真実の仏法がわからず)謗法の者となって悪道に堕ちてしまったならば、文殊菩薩のようなすばらしい智慧富楼那のような雄弁をもっていたとしても、それらは少しの利益にもならないのである (同143ページ、通解)
●短い今世における大増上慢によって、未来永劫に迷い苦しむ因を植えつけてはならない(同185ページ、通解)!

正義の学会に反逆し、忘恩の輩となって哀れな末路をたどることほど可哀想なことはありません。


・斧節『「論の是非」より、論を発する「所」で評価』
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20120509/
孫崎亨氏へ――。
●重大な歴史の教訓は、戦時中の世論の暴発、暴走を煽ったのが、ジャーナリズムであったということだ。マスコミが発達すればするほど、言論人の姿勢、言語感覚、自らの発言に対する責任や配慮が、厳しく問われなければならない。 (『池田大作 名言100選』 中央公論新社


・斧節『合理性と教義受容』
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20110727/
●その名は“賢人”であるとはいえ、実際には、『生命の因果』の道理をわきまえないことは、まるで赤ん坊の様な幼稚さである(御書188ページ、通解)
●仏法は厳しい。「秘とはきびしきなり三千羅列(られつ)なり」(御書714ページ)と仰せの通り、峻厳な因果からはだれ人も逃れることはできない。 (「青年部座談会 轟け!正義の師子吼」 創価新報 2012-06-06)
●どんな大学者であれ、有名人であれ、財力、権力の人であれ、自身の「生命の因果」に通じているとは限らない。にもかかわらず、心おごれるあまり、この根本の重大事について、真剣に、また謙虚に求めていかないとしたら、あまりにも愚かであり、残念なことである。その錯誤は、永遠にわたる生命の軌道に、決定的ともいえる狂いを生じさせていくからだ。(御指導、1988-04-29)

学会は永遠に御書根本です!狂信、盲信は、他でもない小野さん御自身です!

・香風『生命の因果律は誰人も逃れることはできないという思想の確立が不可欠』 http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20120825/


・斧節『マズロー欲求段階説
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20110831/
●ある人が人々のために道をつくった。その道に迷う者があるからといって、道をつくった人の罪といえるだろうか、いやそうではない(御書257ページ、通解)
●当時も、また現在も、“人間自身は卑小な存在であり、偉大なる永遠の価値は自分の外にある”という考え方が根強くあります。
 大聖人は、この固定観念を打ち破り、何か超越的な力にすがるのではなく、幸福を開く根本法が万人の胸中に内在することを示し、自身の本来の偉大さに目覚めていくべきであると教えられているのです。 (勝利の経典「御書」に学ぶ 日女御前御返事 聖教新聞 2011-12-13)
●この御本尊を決して別の所に求めてはならない。ただ、私たち衆生法華経を持って南無妙法蓮華経と唱える、その胸中の肉団にいらっしゃるのである (御書1244ページ、通解)
●大聖人が認められた御本尊は、実は、自分自身の胸中の御本尊に目覚め、胸中の御本尊を呼び顕すための御本尊であるということです。 (勝利の経典 「御書」に学ぶ 大白蓮華 2011年12月号)
自分の生命(いのち)を見つめず、他人や環境、学会のせいにし、悪者に仕立てあげる生き方は愚劣です。先生から離れず、先生のおっしゃるまま素直に実践すれば、本当の仏法がどういうものか必ずわかるのです。


・斧節『宣伝工作』
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20110210/
●信は智慧の種なり不信は堕獄の因なり(御書725ページ)
●心がひねくれて(同21ページ)
●臆病物をぼへず・欲深く疑い多き者(同1191ページ)

一切衆生を幸福にする信心です!大聖人と先生の「我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ」(御書232ページ)の決意に連なるならば、たとえブログであってもその人は「地湧の菩薩」(同1360ページ)です!
あなたの無明を打ち破り、謗法の毒を抜き、安穏・幸福で正しき人生に導くことを「広宣流布」というのです!


・斧節『多造教団堅固〜日蓮をゼロから捉え直せ』
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20111229/
●反逆者は御書に反し、我見のみで暴れる─戸田先生
●仏法の味方のように見せかけて (御書313ページ)
●五濁の障重く闘諍堅固にして瞋恚の心猛く嫉妬の思い甚し(同544ページ)
●自分の邪義に少しでも合わない経文があると、道理を曲げて、なんとか筋道をとおそうとし、無理に自分の邪義に合わせる(同45ページ、通解)
仏弟子である私は、仏子として生まれて、諸経の王たる法華経に仕えている。どうして仏法が衰微するのを見て、哀惜(あいせき)の心情を起こさないでいられようか。
 そのうえ、涅槃経には、「もし善い僧が、仏法を壊(やぶ)る者を見ていながら、放置して破折もせず、追放もせず、その罪を指摘もしないでいるならば、この人は、仏法の中の怨敵(おんてき)であり、もし、よく追放し、破折し、その罪を挙げるならば、これこそ私(釈尊)の弟子であり、真の声聞であると知るべきである」と説かれている。 (同26ページ、通解)
●ああ 苦難よ 私は恐れない! おお激しき 中傷非難の渦巻きよ。 嫉妬に狂う 愚劣な輩の罵声よ。 正義の信念の私は 絶対に動じない!
 私には 永遠に連なる 勝利の旗を 持ち続けて進む 深い使命があるからだ。 (桂冠詩人の世界 「わが同志(とも)とは三世永遠!完勝の歴史を刻まむ」 聖教新聞 2012-07-15)

「仏法の道理を人に語らむ者をば男女僧尼必ずにくむべし、よしにく(憎)まばにくめ法華経・釈迦仏・天台・妙楽・伝教・章安等の金言に身をまかすべし、如説修行の人とは是れなり」(御書1308ページ)。
何とでも言いなさい!先生が受けられたこれまでの大難を思えば“九牛の一毛”です。先生の弟子である私は、断じて恐れることはない!

●邪見を砕き破り、正義を興隆すれば、一眼の亀が浮木の穴に入るような千載一遇のことであり、こんな幸いはない。こんな幸いはない(御書180ページ、通解)