わが友に贈る・寸鉄・名誉会長の指針 他

2012年7月24日(火)更新:1
【わが友に贈る】
 友好拡大の夏 到来。
 余裕ある計画立て 絶対無事故の行動を!
 「前前の用心」で 断じて油断を排せ! (聖教新聞 2012-07-24、以下同)


寸鉄
SGI会長の写真に内なる変革を促す詩心が―中国識者 国境を超える“文化の光”
●「必ず勝つ」と決めるかどうかで勝敗は決まる―恩師。まず祈りからだ!
●南米英雄(シモン・ボリバル)の誕生日。「団結しよう! されば我らは無敵」。異体同心の連帯築け
●「日蓮さきがけしたり」と蓮祖。幹部(リーダー)率先の行動を「一人立つ」心が学会魂
オレオレ詐欺が再び増加傾向と。絶対に騙されるな。声かけ注意が効果大


核廃絶へ真実を伝えたい 青年部が主催 第148回 広島学講座 爆心地復元映像制作委員会 代表 田邊雅章氏が講演】
●原爆が、どれだけのものを葬り去ったのか――それは建物だけでなく、その地で培われてきた文化や地域特有の生活そのものであり、そこで暮らす人や精神である
●いかに高度な技術でも復元できないほどの大きすぎる損失であるが、その一部を映像として後世に残していきたいと述べた。


【本部幹部会で紹介された名誉会長の指針 「向上の人生」を目指せ 君達の成長こそ広宣流布
●偉大であるからといって、必ず正しく評価されるとは限らない。これが社会の現実である。
 偉大な人の後に続き、その正しさを「証明する人」がいて、初めて真実が多くの人々にわかるのである。
●「偉い人を見ては、私もああいう人になりたいものだと、常に自分より優れた人、よくできる友達を尊敬し、それを手本として勉強している人は、一歩一歩、向上発展しつつある人であります」
●アショーカ大王は、今から2200年前のインドの大政治家であり、大指導者である。世界の歴史に輝く「王者のなかの王者」である。
 「王者」また「王」とは、たんに位が高いことをいうのではない。本来は、“民衆のため、社会のために、最大に貢献していく人”のことを、「王」という。
●「心こそ大切」なのである。「まっすぐな心」「清らかな心」があれば、皆、功徳に変わっていく。
●約1200年前、像法時代に「法華経」を弘めた日本の伝教大師最澄)は記している。
 「国の宝といわれ、国を利するものといわれるものは菩薩でなくして誰であろうか」 (勝又俊教訳「山家学生式」、『古典日本文学全集15』所収、筑摩書房
 国の宝といわれ、国に真に利益をもたらすものは、だれなのか。
 それは、(法華経に説かれている通り)菩薩であるとの大宣言である。
 それでは、末法の今、大聖人の仰せ通りに、妙法を唱え弘め、人々のため、社会のため、国家のため、そして世界平和のために、地湧の菩薩の行動をしているのは、一体、だれなのか。
 それは、わが創価学会の同志以外にはいないと断言したい。
●この偉大なる仏法を実践する私たちこそ、法華経に説かれた「菩薩」であり、最高に尊い「国の宝」「世界の宝」なのである。
●青年部が師の心をわが心として進めば、何も恐れるものはない。いかなる障魔も、打ち砕くことができる。
 青年部は、師匠直結で進むのだ。


【教学 自他共の幸福のスクラム拡大へ 仏法は「対話の宗教」 一人でも多くの友に仏縁を】
●「日蓮は、この法門を語ってきたので、他の人とは違って、多くの人と会ってきた」(御書1418ページ、趣意)
●大聖人御自身が率先して対話を実践されました。苦悩に沈む民衆の中に飛び込み、迫害を悠然と見下ろされながら、語り抜かれました。迫害者が暴力に訴えても、言論闘争を貫かれ、「言葉の力」で社会を変革しようとされたのです。
●兄・宗仲が、信仰に反対する父に勘当された池上兄弟に対してはこう仰せです。
 「日蓮が平左衛門尉の所で、堂々と振る舞い、言い切ったように、少しも畏れるような心があってはならない」(同1084ページ、通解)
 また四条金吾が、主君の江間氏から法華経の信仰を捨てるという誓約書を書くように脅された時には、少しもへつらわず振る舞い、語って、事に対処していくよう励まされています(同1164ページ、趣意)。
 やがて池上兄弟の父は日蓮仏法に帰依するようになり、四条金吾は主君の換気(咎め)が解け、3倍の領地を賜るという実証を示したのでした。
●池田名誉会長は、幾百万の庶民を徹して励まし抜き、公式なものだけで1600回を超える識者との対談を重ねてきました。
●名誉会長は語っています。「苦悩に沈む人が立ち上がれるまで祈り、励まし続ける。古い友情を大切に、新しい友情を結ぶ。そうした人のつながりから、また新たな価値を創造する――私たち『創価』の真骨頂です」

《仏教の説話》
舎利弗の過ち
 対話する相手にとってふさわしい形で法を説くことの大切さを教えています。
    ◇
舎利弗が鍛冶屋の「金師(こんし)」と洗濯を仕事にしている「浣衣(かんえ)」に仏法を説いていました。金師には“不浄観(若く美しい人でも、やがては白骨化してしうと思い浮かべ、欲望を追求する人生の儚さを知ること)”を、浣衣には“数息(すそく)観(呼吸を整えて心を定め、真理を探究する実践)”を教えました。しかし、2人とも何も得るところがなく、不信を起こしてしまいます。
 釈尊はこの有様を見て、言いました。“金師は、息を整えてリズムよく金属を打っているので、数息観を教えたほうがよい。また浣衣は、清らかさを大切にしているので、不浄観を教えたほうが分かりやすかった”と。
 釈尊が2人それぞれに合った教えを説くと、2人は悟りの境地に達したといいます。

・不軽菩薩
●「私は深くあなたたちを敬い、決して軽んじません。なぜかと言えば、あなたたちは皆、菩薩の道を行じて成仏することができるからです」
●高慢な人たちからののしられ、石を投げつけられても、不軽菩薩は人々に具わる仏性を信じ、それを敬って礼拝を続けました。
 いかなる迫害を受けても相手の可能性を信じ続けた不軽菩薩の実践は、人々の、自他共の幸福を目指す善性を薫発したのでした。