広宣流布の功徳は三世に

2012年8月13日(月)更新:1
【名誉会長と共に今日も広布へ(26)】
 生老病死は誰人も避けられない。愛別離苦――愛する者と離別する苦しみ、思いもよらぬ悲しい別れもある。
 しかし、そうした深い悲しみから立ち上がって、けなげに生きて生き抜いた人は、人間の王者として、後に続く人々から頼られ、仰がれるであろう。自身の悲哀を乗り越え、永遠へと残りゆく何かを成し遂げゆく人生ほど、崇高なものはない。
 仏法では生死不二と説く。題目の光は全宇宙に届く。ゆえに、亡くなられた家族や友人を、追善する側の信心が大事だ。瞬時も離れることなく“故人と一緒に”、そして“故人の分まで”との思いで広布へ進むのだ。それを故人も一番喜んでいるに違いない。
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 広布へ戦う功徳は、三世に輝く。妙法の人の生死について日蓮大聖人は仰せである。
 「南無妙法蓮華経と唱え、退転せずに修行して、最後の臨終の時を待ってごらんなさい。妙覚の山に走り登って、四方をキッと見るならば、なんと素晴らしいことであろうか、法界は寂光土で、瑠璃をもって地面とし、黄金の縄をもって八つの道を仕切っている。天から四種類の花が降ってきて、空には音楽が聞こえ、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき、心から楽しんでおられる」(御書1386ページ、通解)
 山に駆け上がって、見渡す限り、燦然と輝く世界。見つめる自分自身も輝いている。妙(たえ)なる風が吹き、心地よい音楽が聞こえる――本当に素晴らしい世界である。
 信心を貫き通した人の生命は、皆、そうなるのだ。絶対に幸福に輝くのだ。これが大聖人の御約束なのである。 (聖教新聞 2012-08-12)