幸なるかな一生の内に無始の謗法を消滅せんことを (御書p509)

2012年8月30日(木)更新:2
・斧節『転居のお知らせ』
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20120818/

>>ダラダラと10年以上にわたって駄文を認(したた)めてきたが(小野さん)
●良観上人らが弘めている法は、日蓮からの論難を免れることができず、そのため、すでに悪法であることが明らかになってしまった(御書182ページ、通解)

有名、虚栄…、そんなものは幻です!


>>「私は学会員である」という自意識に束縛されているため、学会員は党派性でしか物事を判断できなくなっているように思う。それゆえ言論の内容を吟味せず、単純に「敵か味方か」で判断する手合いが多い。(小野さん)
●糞犬(やせいぬ)が師子王をほへ癡猿(こざる)が帝釈を笑ふに似たり (御書890ページ)
●敵を知らなければ敵にたぼらかされてしまう (同931ページ、通解)
●『敵・味方』とは、悪か善かということです。その峻別ができなければ、姪御さんの幸せも、また、私どもの信仰も攪乱され、現実において敗北してしまいます。
 大聖人は『悪知識と申すは甘くかたらひ詐り媚び言を巧にして愚癡の人の心を取って善心を破る』(御書七ページ)といわれている。
 悪知識というのは、仏道修行を妨げ、幸福への道を誤らせる悪徳の者であり、悪友です。この悪知識という敵は、甘く語らい、嘘をつき、媚びて、言葉巧みに近づき、心を許すように仕向け、退転させていくんです。
 ゆえに、悪を悪と見破り、戦うことが大事なんです。悪と戦わぬ善はありません。悪を打ち破ることが、慈悲にもなるんです」
 ――「悪人の敵になり得る勇者でなければ善人の友とはなり得ぬ」とは、初代会長・牧口常三郎の珠玉の指導である。  (「新・人間革命 厚田 五十九」 聖教新聞 2012-08-23)

“仏法は勝負”です。仏と魔との闘争です。この信心こせ幸せになれる真実の道です。同志の信心を食い破り、幸福になる道を妨げる人は“敵”であり、“魔”です!


>>ネット上では大した活動もしていない有象無象が徘徊している。(小野さん)
●「天台法華宗は所持の経 最為第一なるが故に能く法華を持つ者も亦 衆生の中に第一なり」 (大白蓮華 2012年9月号、以下も)
●「御本尊を持った者を軽んじ、憎み、そして怨嫉するならば、同じく功徳を消すのであります。
 仏法は厳しいのです。おまけも割り引きもありえない」
●御書には、在家、出家、男性、女性も含めて、「日蓮の一門」「日蓮の一類」「日蓮の門下」「日蓮の弟子檀那等」など、繰り返し認めておられる。皆、大御本尊のもとに平等な仏子であり、広宣流布への同志である。これが大聖人の深きお心である。 (御指導、1990-01-24)


>>こんなものは自慢でも何でもない。結果を出すのは当たり前であるからだ。(小野さん)
●欲深く心は臆病で、愚かでありながら、しかも自分では智者と名乗っていた(御書1539ページ、通解)
●池田会長は釘を刺した。
 「学会の幹部だからといって、法を下げたり、いばりくさったり、おごり高ぶったり、結局は広宣流布の妨げになったり、清らかな団結を破壊したりするような人がいるならば、これは大きな筋違いであります。経文に反するのです」 (大白蓮華 2012年9月号)
●「自分を偉いと思ってはならない。人は題目に従い、題目についてくるのであって、自分が偉いからつくのではない。錯覚を起こして増上慢になってはならない」 (同)
●「中途半端に、仏法を知ったかぶりしているような増上慢がいちばん危ない」 (同)
●近年、教学がありそうに見えても、堕落し、退転していった幹部がいた。それは結局、信心がなかった証拠であり、ゆえに教学もなかった証拠である。 (御指導、1988-08-19)

悪は永遠に栄えることはできません。過去がどうあれ関係ありません。あなたの師敵対行為は、峻厳な悪業の歴史を刻みました。


>>ネット学会員はネトウヨならぬネトガクに堕した感がある。自分の不勉強を恥じることなく、堂々と「自分たちの正義」を語る臆面のなさ。(小野さん)
●世界第一の妙法を持つ青年は、新時代を開く、世界第一級の指導者なり! (『勝利の経典「御書」に学ぶ』 大白蓮華 2012年9月号)
●身・口・意の三業で信心を実践する者は、大梵天王(娑婆世界の主)にも優れ、帝釈天(神話上の最高神)をも超える力を持つことができるとの仰せであります。 どれほどの力があるか! (大白蓮華 2012年9月号)
●私の言葉は、大慢に似ているように思えるかもしれないが、それは、仏の未来記を助け、如来の言葉が真実であることを顕すためである (御書507ページ、通解)
●現代において、創価学会の出現がなければ、大聖人の一閻浮提広宣流布の予言が虚妄になるところであったことは、だれ人も否定できない。この、まぎれもない事実の姿を、否定し、誹謗する者こそ、御本仏の未来記を虚妄にする大悪人なのである。 (御指導、1991-08-17)

自ら謗法に堕しながら、学会の正義を誹謗している。「正法」への誹謗と、「正法を信じ行ずる学会員」への誹謗は、ともに墮地獄であることを知るべきです。


>>彼らは他宗を罵り、他党を罵り、他の学会員を罵ることでしか自我を保つことができない。(小野さん)
●自ら省ること能わざる (御書718ページ)


    ◇  ◇  ◇

●「秦の世は、ほどもなく滅んだ。これは始皇帝の非道の行いによるものである」(御書329ページ、通解)
 民衆の心に背いた横暴な独裁は、自滅する――。これが歴史の鉄則である。(御指導、1990-10-10)
●信心とは“従順”です。師弟の道に徹することです。そしてそれは、学会に付ききる中にある。広宣流布の師匠を求める自身の求道の行動の中にある (大白蓮華 2012年9月号)
●無名であっても、人のため、法のために生きる人生が、どれだけ尊いか。「私は、これでいい!」「私は、やりきった!」と言える信念の人生のほうが、どれだけ幸福か。皆、同じ人間である。違うのは「境涯」である。「境涯」の違いだけは、死をも超えて永遠に続く。ゆえに「心こそ大切」(御書1192ページ)なのである。 (御指導、1996-09-26)

我らには、人類が辿り着く最高峰の師匠がいます!御書があります!世界192ヵ国地域の同志がいます!