民衆と共に戦う陣列に真の仏法の精神が脈動

2012年8月31日(金)更新:1
【教学論宛 後継の人材の育成】
〈原点となった師との出会い〉
●「希望に燃えて 怒濤に向い/たとい貧しき 身なりとも/人が笑おが あざけよが/じっとこらえて 今に見ろ」
 後になって、この詩が、池田先生が19歳で戸田先生にお会いした直後に詠まれた「希望に燃えて」であることを知ったが、「じっとこらえて 今に見ろ」の一節がストレートに私の命に突き刺さり、自らの“生きる力”となった。

〈仏教がインドでなぜ滅んだのか〉
●池田先生が範を示されている「後継の人材の育成」こそ、法華経見宝塔品に説かれる「令法久住」(法華経387ページ)を永遠たらしめる要諦である。
 法華経では、見宝塔品に至って、巨大な宝塔が大地から出現。釈尊は、それまで霊鷲山にいた大衆を虚空に引き上げ、ここから虚空会の説法が始まる。
 その中で釈尊は、「自分はもうすぐ亡くなるので、この法華経を誰かに託したい」「ここに無数の仏が集まったのも、同じく令法久住(法をして久しく住せしめん)のためである」と語るのである。
 末法広宣流布こそが仏の願いである。それゆえ、この広宣流布を永遠たらしめるためにも、後継者の育成が重要であることは言うまでもない。
 日蓮大聖人は「顕仏未来記」の中で、“仏教発祥の地・インドにはもはや仏法はなく、中国には大乗経がわずか残るのみで、実態は形骸化している”ことを指摘されている。そして、わずかばかりの経典を新たに渡したとしても、「伝持(でんじ)の人無(なけ)れば猶(なお)木石(もくせき)の衣鉢(えはつ)を帯持(たいじ)せるが如し」(御書508ページ)――(いくら経典だけがあっても)仏法を持ち、伝えていく人がいないので、あたかも木石の像が法衣を着、鉢を持っているようなもので、何の役にも立っていない――と述べられている。
 なぜ、そういう事態に陥ってしまったのか。その要因を考えずにはいられない。
 池田先生と、インドを代表する知性であるロケッシュ・チャンドラ博士との対談集『東洋の哲学を語る』の「なぜ仏教はインドで滅んだか」との一項は、示唆に富んでいる。
 「インドでは、仏教は主として哲学的な機能にとどまりました」「仏教自体が限られた一部の上流階級のものになってしまいました」と語るチャンドラ博士。
 それを受けて、池田先生は、インドのネルー初代首相の「『人間の生き方』を身をもって説いた釈尊が、人間を超えた“神”のように権威化されたために、仏教は滅んだ」との言葉を紹介し、日蓮大聖人の仏法が“人間の実生活から遊離した仏教を人間に取り戻すことを教えたもの”であることに言及。創価学会の運動について「釈尊や大聖人の歩んだ『人間の道』を受け継ぐものであり、そのために、仏を権威化して人間を手段にしていくものとは、徹して戦うのです」と語られている。
 人間を離れたところに、仏法の精神が脈打つことはない。いくら経典が残ろうと、現実に、民衆の中に生き、民衆と共に戦う後継の人材を陸続と育てていくことなくして、広宣流布の運動の永続性はないことを、私たちは知らなければならない。

〈未来部を育む同志に感謝を〉
●戸田先生は「創価学会の組織は安全地帯である。子どもは、学会の庭で育てていきなさい」と教えてくださっている。
●「師子王の子は師子王となる」(御書1216ページ)――師子王のごとく妙法流布に生き抜く同志の手によるがゆえに、本物の人材が陸続と育っていく。ここにこそ、学会の人材育成の要諦がある。

〈広布のバトンを親から子へ孫へ〉
●池田先生は、小説『新・人間革命』の「厚田」の章において、生まれた川に戻って産卵し、命懸けで子孫を残そうとする鮭の例を引きつつ、「皆さんも、これまでに学び、培ってきた信心の一切を、命を懸ける思いで、お子さん方に、お孫さん方に、また、後輩たちに伝え抜いていってください。信心の火を、身近なところに、ともし続けていくことから、令法久住の流れができるんです」と綴られている。
   (聖教新聞 2012-08-21)