文明を“衝突”から“共生”へと開く英知

2012年9月16日(日)更新:2
【世界の知性は語る ハーバード大学 クリストファー・クイーン博士 SGI会長のハーバード講演に学ぶ】
 池田SGI会長のハーバード大学講演「21世紀文明と大乗仏教」(1993年9月)から、この9月で20年目の佳節を迎えます。その文明の再生のメッセージは、今なお多くの識者に、精神の啓発を与え続けています。そこで、ハーバード大学で長年にわたり仏教の講座をもち、「社会に貢献する宗教」の研究で著名なクリストファー・クイーン博士にインタビュー。この講演が世界を代表する学問の府に与えた影響について聞きました。

〈豊かな心と自由の精神で聴衆を魅了〉
 ――歴史を画す出来事は、年月を経るほどに、その価値を、より鮮明にしていくものです。博士は、池田SGI会長の講演の意義を、あらためて、どう評価されますか。
 クイーン博士 講演の印象を語る機会を与えてくださったことを、まず、感謝したいと思います。SGI会長の講演は、それが昨日の出来事であったような、鮮烈な印象を私の心に残し続けております。
 あの日、仏教の世界的な指導者を迎えての講演会には、ノーベル賞受賞者をはじめ、世界の一流の識者が出席するなど、その期待の高さを如実に物語っておりました。
 開会の直前、日英の同時通訳用のヘッドホンが出席者に手渡された時、歴史的な講演への期待が会場に大きく広がったことが、懐かしく思い起こされます。
 SGI会長は、その期待に背くことなく、人類が直面する課題に対し、仏教を基調とした、知的で普遍的なビジョンにあふれた主張を、堂々と展開されました。
 そのなかで、まず私が感動したのは、会長とガルブレイス博士との、ほほ笑ましい交流風景でした。世界を代表する巨人であった博士は、講演の講評者の一人として壇上におりました。その背丈もまた巨人であった博士に歩み寄った会長は、突然、ジャンプ(跳躍)して、博士との背を比べる仕草をされたのです。
 私たちは、東洋からの賓客は儀礼と威厳を装い事に臨む、との固定観念があります。それだけに、会長のユーモアにあふれた自然な振る舞いは、参加者を温かく包み、会場の緊張が一気に解けていったのです。
 ――博士ご自身、そうした会長の振る舞いの意味を、どう受け取られましたか。
 博士 仏教の師匠といわれる人々は、ものごとの真実を、言葉を用いず、その振る舞いをもって伝えるという、特異な手法を持っております。私がその時、会長の振る舞いの奥に見たものは、あらゆる固定観念や制約を取り払った、自由の精神です。
 さらに、講演そのものに即して考えれば、そのユーモラスな振る舞いを通して、自分は社会から隔絶した聖人でもなく、抽象論を弄(もてあそ)ぶ者でもない。一個の人間として、世界の直面する課題に迫るのだ、との無言のメッセージを参加者に送ったのです。
 それ以上に私の心を捉えたのは、会長の五体にみなぎる生命の歓喜です。会長は、時代を開く先人の倣(なら)いとして、これまで幾多の非難や中傷を浴びてきたはずです。そうした体験は、えてして、その人の心に悲観的な影を宿しがちです。それだけに、幸福と喜びに弾む精神を、常に、そして自然に発現し続ける、会長の生命の豊かさに感服したのです。

ハンチントン論文への歴史的な応答〉
 ――会長の講演は、仏教の思想が、文明の共生の未来を築く英知の源となることを検証したものです。大変、興味深いことに、同じ年、同じハーバード大学のサミュエル・ハンチントン博士が「文明の衝突」をテーマにした論文を発表。その衝突の要因となるのが宗教である、との警鐘が世界に衝撃を与えました。この両者の対照は、会長の講演の意義を、一層高めるものとなりました。
 博士 会長が、示されたビジョンは、まさに、ハンチントン博士が世界に突きつけた挑戦に対する応答としての意義を持っていたのです。実際、博士は、その晩年、世界の宗教を研究する識者を招き、自身の思想の再考を試みました。“文明の衝突”の要因となる宗教の閉鎖的な側面だけでなく、“共生の大地”を築く源となる宗教の普遍的な英知の側面に、より光を当てようとしたのです。
 SGI会長の講演は、博士の思想の変遷に、重要な一石を投じたと、私は確信しております。
 ――会長は、講演で、万物の共生を築くための開かれた対話の重要性を訴えました。同時に、不正や暴力に対しては“火を吐くごとき言論のつぶて”のような対話も不可欠であると主張しました。
 博士 会長が、対話の持つ両義性について語られたことを、高く評価したいと思います。一般に対話というと、春風のように人々を包み込むイメージのみが先行しがちです。しかし、会長も明示されたように、不正や暴力に対しては、それ相当の姿勢で対応していかねばなりません。
 実際、会長は、まさに火を吐くごとき言論を武器に、国家や社会の腐敗や暴力に立ち向かった、勇気ある宗教指導者です。
 また、創価学会の思想と行動の源となった日蓮こそ、民衆の心を深く知ることなく、外的な権威に固執し、腐敗をもたらした、当時の政治や宗教の権威者に、言論の力をもって、ただ一人、挑んだ勇者であったのです。
 私が、サリー・キング博士とともに編集した『社会に貢献する仏教』では、そのことが詳細に記述され、評価されております。

〈時代の要請は「社会に貢献する宗教」〉
 ――博士は、どのような経緯で「社会に貢献する宗教」への、関心を深めていかれたのでしょうか。
 博士 西欧のキリスト教の世界に育った私は、宗教の真髄は、神を信じ、祈りを捧げるところにある、と理解しておりました。しかし、仏教との出あいを通して、私の宗教観は一変したのです。
 神に祈り、天国に行くことばかりを望むのではなく、人生をどう生き、そのために自身を、どう開発するかに関心を置く、仏教の思想に耳目(じもく)を開かれたのです。
 さらに仏教では、内なる知恵と慈悲の開発を重視します。そして、その知恵と慈悲は、利他のために向けられるべきことも、説いております。こうした思想は、おのずと人々の心に、社会参加の意識、社会貢献の意欲を喚起させるものです。
 もちろん、宗教の重要な役割は、人間の心の濁りから生ずる苦悩の脱却への道を示すことにあります。しかし、自己に起因せず、社会に起因する苦悩から、私たちは、どう脱却すべきか。人種偏見がもたらす苦悩と、どう闘うべきか。
 日本で起きた大震災や大津波、さらに原発事故がもたらす苦悩を、どう乗り越えていったらいいのか。これらの社会的苦悩は、果たして、個人が瞑想にふけることによって、克服できるものなのでしょうか。
 ――そこにこそ、社会に貢献する宗教の意義と役割があるのですね。
 博士 宗教が、社会の問題に対し、どう発言し、行動するかが問われるということです。そして、宗教が、人間に苦悩をもたらす社会悪と闘うためには、必然的に人々の力を結集することが求められるのです。
 そして、社会悪には、さまざまな要因があります。政治悪もその一つです。そうした、権力などの強大な力に対抗するためには、宗教を組織化するしかないのです。ともあれ、創価学会は、幅広い社会貢献のための良き模範を示している、と私は評価しております。
   (聖教新聞 2012-09-16)