庶民の中で、生きる喜びを広げる人間王者の姿に学びたい

2012年9月17日(月)更新:1
【名字の言】
 働き盛りの大工が交通事故に遭った。今までのように動けない体になり、失意の日々。そんな彼が本年1月に入会した。彼を変えたのは、2人の婦人部員との出会いだった
 70歳を過ぎた今も、元気に働き、地域を歩く生き方にひかれた。じっくり話を聞いてくれた。目の輝きが違うと感じた。入会していた妻の勧めで一度だけ会うつもりが、こう口にしていた。「次はいつ時間をつくってくれますか?」
 会ううちに、婦人の一人が、大病を乗り越えたことを知った。「まだまだ死なれへん。目標があるから」と語る姿に、自身の生き方を見つめた。自然に、仏法の話にうなずいていた
 きょうは「敬老の日」。9月の第3月曜日だが、2002年までは15日だった。祝日の由来は、暦の節目、国家的記念日がほとんど。しかし、敬老の日の慣習は年配者の貢献に感謝し、知識や経験を伝授してもらう「としよりの日」として、戦後まもなく兵庫・野間谷村(現・多可町)で始まった。いわば“民衆発の祝日”だ
 創価学会が信心の大先輩を「多宝会」等と呼ぶのは、仏説の真実を証明した多宝如来のように、「自らの声と姿で妙法を証明する」使命を尊ぶからだ。庶民の中で、生きる喜びを広げる人間王者の姿に学びたい。
   (聖教新聞 2012-09-17)