闇が深いほど暁は近い

2012年9月17日(月)更新:2
【希望のSGI(5)フィリピン 婦人部長 ダリサイ・セラノさん 闇が深いほど暁は近い 女子部の薫陶で人格磨く】
 フィリピンSGI創価学会インタナショナル)で婦人部長を務めるダリサイ・セラノさん。国立フィリピン大学で公衆衛生を学んだ後、保健省や大手自動車販売店を経て、医療機器の輸入・販売を手掛ける会社へ。その後、本年春にSGIの職員となった。

 〈これまで、社会の第一線で活躍されてきました〉
 フィリピンでは、女性の多くが働いています。
 私は、公衆衛生に携わる仕事をしたいと祈り、探していたところ、思い通りの職場に転職することができました。その会社は、公衆衛生の知識とマネジメント(管理)の経験を生かせる職場でした。
 ところが、転職から3年目のある日、社長から突然、「君は要領が悪いね」と言われたのです。一生懸命にやってはいたものの、思うような成果が上げられていなかったことを指摘されました。
 とても悔しかった。つい感情的になり、自分のことを棚に上げて、社長への不満ばかりが募ります。
 毎日のように、ニュジーランドに住む姉に愚痴いっぱいのメールを送っていました(笑)。そのたびに姉は、丁寧にアドバイスをくれ、メールの最後に池田先生の指導を通して励ましてくれたのです。
 一時は職を変えようともしましたが、うまくいかず。悶々としたまま、1年くらいが過ぎました。

 〈何がきっかけで変わったのでしょうか〉
 ある日、姉のメールに小説『新・人間革命』の一節が引用されていたのです。
 「いざ困難に出くわし、窮地に立たされると、“もう駄目だ”とあきらめてしまう。しかし、実は、困難の度が深まれば深まるほど、もう少しで、それを乗り越えられるところまできているんです。闇が深ければ深いほど、暁は近い」と。
 ハッとしました。“逃げてばかりじゃいけないんだ。私自身が変わらなければ”と思いました。
 当時、私は支部婦人部長でした。今こそ模範の実証を示す時だと決意しました。実はそれまで、仕事についてはあまり祈っていませんでしたが、会社のこと、社長のことを真剣に祈るようにしました。
 最初は、社長の顔を思い浮かべても憎しみしか湧いてきませんでした(笑い)。でも、2ヶ月ほどたった頃でしたか、こうして発心するきっかけを与えてくれた社長に感謝の思いがこみ上げてきたのです。
 そこから、どんどん変わっていきました。
 仕事も学会活動も全てやりきると決意しました。仕事では誰よりも早く出勤する一方で、会合には、どんなに忙しくても時間通りに参加しました。
 朝早く出勤するようになって4ヶ月後、社長から「最近、仕事に向かう姿勢が変わったね。この仕事はぜひ、君にやってもらいたいんだ」と、小さなプロジェクトを任されるまでになりました。それからは、一つ一つ実績を積み重ねていきました。
 さらに、2010年には、経済不況のあおりを受け、会社が大きな損失を被りました。リストラの危機の中で、社の再建を毎日、祈り続けていたところ、逆に会社全体のマーケティングと営業を統括する「総合マネジャー」に抜てきされたのです。思ってもみないことでした。
 その役職は、会社のナンバー3の立場でした。給料は20%増えました。
 〈なぜ、そのような信頼を得られたのでしょうか〉
 社長からは、よく顧客の対応などを任されていました。私の仕事に対する姿勢の変化もあるでしょうが、私が誰とでもすぐ打ち解けられる性格だったことも大きいと思います。
 これは、女子部での薫陶のたまものです。
 私の小さい頃は、まだフィリピンに未来部がなかったため、女子部で活動していました。そして、若くして組や班の責任者、支部の女子部長を経験し、大学生の時には総支部の女子部長と白蓮グループの委員長もさせていただきました。
 自分より年配の部員と共に会合や座談会を行うことで、年齢や肩書きを抜きにした人間対人間のコミュニケーションを自然と身につけることができました。
 〈何か心がけていることはありますか〉
 ある時、社長が教えてくれた言葉です。
 「時間を尊重することによって、人を尊重することができる」
 約束の時間を守る。無駄に時間を延ばさない。それが相手を尊重することなのだと。これは、日々の学会活動でも心がけています。
 1991年に池田先生がフィリピンを初訪問された時、国立フィリピン大学の学生として歓迎し、記念撮影をしていただきました。
 先生は私に対し、会釈をしてくださいました。目が合った瞬間、目の奥まで見つめるような眼差しに「全部、分かっているよ」との深い思いが伝わってきて、全身が震えるほど感動したことを今も覚えています。
 わずか数日間のフィリピン訪問で、先生は多くの同志を激励されました。それは、一期一会の出会いを決して無駄にしないとの気迫こもる姿でした。
 今、婦人部長として、若い世代に書籍で学ぶだけでは分からない、先生の振る舞いを伝えることが私の使命だと思っています。
 私自身、友との出会いの瞬間を大切に、フィリピン広布に走り抜いていきます。
   (聖教新聞 2012-09-17)