いじめ――私たちにできること

2012年9月19日(水)更新:7
【家庭・教育 読者リクエスト特別企画 いじめ――私たちにできること(上)】
〈地域ぐるみで子どもに目配り〉
●いじめを苦にして、自ら死を選ぶ子どもたちのニュースを耳にするたび、心が張り裂けそうになります。
 いじめを受けても相談することができず、いじめを目にしても、誰にも知らせることができない子どもたちがいます。つらいでしょうが、何とか勇気を出して「声にしてほしい」と思います。
 その上で、未来の使者である大切な子どもを守るために、学校はもちろん地域においても、さまざまな角度から、大人が見守ることが大事だと思います。
 ある日、ちょうど下校の時間に、小学校の近くを通りました。すると一人の小学生が、四つも五つもランドセルを背負わされて歩いていました。周囲には、はやし立てて面白がる子たちがいます。
 思わず、その子の傍らに駆け寄り、周りの子たちを叱ると、皆、ランドセルを奪うようにして逃げていきました。その子に「大丈夫?」と声を掛けると、涙をにじませ「ありがとうございます」と一言残し、走り去っていきました。
 昔は普段から大人たちが地域の子どもたちの様子に目配りし、わが子でなくても何くれとなく声を掛けていたものです。悪いことをすれば叱ってくれる、おじさんやおばさんが身近にいました。
 最近は、他人に無関心な風潮が強いようですが、いじめを社会からなくすためにも、大人は子どもの様子を見過ごさず、聡明な対応をしたいものです。 (千葉市 主婦、54歳)


〈いじめられた子の味方に〉
●中学時代、私のクラスに、いじめを受けて学校に来られない友人・Aさんがいました。私は彼女に何ができるだろうと考え、クラスの一人一人に「Aさんに会いに行こう」と声を掛け続けました。
 初めは「関係ない、関わりたくない」と言っていたクラスメートも、諦めずに祈って毎日対話していく中で、一人また一人と真剣に考えてくれるように。Aさんに会いに行ってくれる友人が、日ごとに増えていきました。
 そして、その友人たちと共に、Aさんをいじめている子に勇気を振り絞って会いに行き、「Aさんをいじめないでほしい」と伝えました。すると、二度といじめないと約束をしてくれ、Aさんは次の日から笑顔で登校できるようになったのです。
 もしかしたら、いじめの標的に私がなっていたかもしれません。でも、当時はAさんが笑顔になるためだけに必死でした。諦めない限り必ず道は開けること、人の心は必ず変わること、真正面から向き合って対話する大切さを実感しました。
 池田名誉会長の指針にある「いじめた側が100パーセント悪い」との精神を、一人でも多くの友人に、そして大切な後継者である娘に伝えていきます。 (香川県 新聞配達店、36歳)


〈徹底してわが子に寄り添う〉
●現在25歳の娘が小学6年生の時、突然、登校をしぶるように。最初は登校を強いていましたが状況は悪くなるばかり。葛藤の末に思い切って「学校を休んでいいよ」と娘に伝え、校長先生に相談しました。結果的に担任とのやりとりだけでは解決できませんでした。
 娘が家にいる間、もう一度、子育てをやり直す思いで、トランプやボードゲームなど、とにかく一緒に遊びました。また、夜は久しぶりに一つの布団で休みました。
 とはいえ、すぐに解決するわけではありません。でも、私自身、悩みながら祈っていく中で“こんなにも苦しんでいる、わが子のことが分かっていなかった、本当に申し訳なかった”と、心から思えるようになりました。不思議にも事態が好転したのは、それからだったように思います。
 わが子の不登校は、2ヶ月ほどの短いもので終わりましたが、再び登校する時の勇気が何よりの財産になったようです。中学では、楽しい学校生活を。今では希望通りの会社に就職し、昨年結婚しました。
 最近のいじめの報道がきっかけで、先日、当時の話を娘がしてくれました。クラスの中でいじめが広がり、ターゲットが次々と代わり、自分の番になったとき、学校へ行けなくなったとのこと。
 本人にとっては、ずっと口にしたくなかったほどの心の傷になっていたことを、あらためて知りました。 (札幌市 児童会館巡回相談員、58歳)


〈大人がまず思いやりの心を〉
●中学校で、臨時のカウンセラーをしています。
 普段、子どもたちには子どもたちの世界があります。それを、大人は見守り、子どもが自ら力を発揮できるような支援が大切だと感じます。
 でも、「いじめ」は別です。する側も、される側も、“閉じた世界”にいることが多く、周りが気付いた時には悲しい結果となり、事後に真実を知ることになります。
 子どもの自主性に任せるだけでは、悔いを残すことになりかねません。
 テレビ番組などのアンケート調査の結果では、「いじめられる側にも問題があるのでは」という意見が見られます。
 しかし、「いじめは、絶対いじめる側が悪い」との認識を、まずは大人がしっかりと持ち、学校でも家庭でも、日々、語り合うことが大切ではないでしょうか。
 それも、人の立場や気持ちを思いやれるようになることが、重要だと感じます。
 いじめは、する側にとって大したことではなくても、された側は不快感や悲しくつらい思いを、忘れることができません。
 また、「言葉は重い」ことも知るべきでしょう。たった一言が励ましや元気を送るものになったり、反対に人の心に穴をあける暴力になったりします。
 大人と子どもが、何でも語り合えるコミュニケーションの場が、一番必要だと感じます。そして、まずは大人が「自分がされたら?」「自分が言われたら?」と、常に省みて、相手を尊重できるようになりたいと思います。 (東京都 カウンセラー、39歳)
   (聖教新聞 2012-09-19)