「21世紀の生命尊厳を目指して」

2012年10月11日(木)更新:3
【「生命」こそ21世紀のキーワード 「池田思想学術シンポジウム」論文集から】
 世界は動く。「生命」がキーワードとなる時代へ――中国・韶関(しょうかん)学院と広東省社会科学院などの共催による「池田思想学術シンポジウム」(本年3月、韶関学院で)。その成果をまとめた論文集が完成した。
 シンポジウムのテーマは「21世紀の生命尊厳を目指して」。人類的課題に立ち向かう根本の視座として、池田名誉会長が唱える「生命尊厳」の思想を探究した論考から2編の要旨を紹介する。


《アモイ大学 黄順力 教授 宇宙には生命を生み出す力が 自然と共生する文明を築け》
 21世紀は「生命の世紀」――池田先生は、かねて、こう主張してきた。
 古来、宇宙の本質は何かという問いを、多くの科学者や哲学者が探求してきた。科学は大きな進歩を遂げているが、宇宙についての認識には限界がある。これは、科学の問題であると同時に哲学の問題でもある。どのような宇宙観をもつか、それが人間の生き方にも影響を与えよう。
 池田先生は、トインビー博士との対談集(『21世紀への対話』)で、仏法の宇宙観に触れながら、“まったくの無生の世界と見える天体も、内には生命への方向性をはらんでおり、環境条件が整えば、その条件に応じて、各種の生物学的生命が発現することになる”と指摘する。
 つまり、そのような生命を生み出す力が宇宙自体にあり、無生の物質にも生命が冥伏した形で内在していると述べている。
 さらに池田先生は、仏法でいう「仏」とは生命に内在する尊厳を意味すると言及。生命の尊厳に至上の価値を置くことを普遍的な価値基準としなければならないと強調する。
 宇宙それ自体が、生命的な存在である――そう捉えるならば、人間だけではなく、大地にも、空気にも、水にも、河川にも、海にも尊厳性がある。それらの尊厳性を侵せば、人間自身の尊厳性を侵すことになろう。
 人間だけではなく、自然にも尊厳性がある――ここに人間と自然の共生を可能にする思想的基盤があるといえよう。
 20世紀から現在に至るまで、社会の生産力の向上や科学技術の進歩によって、人類は、かつてなかった現代文明をつくりあげた。しかし、これらは、ある面、自然に対する略奪と征服から得られたものであり、それによって、とめどない地球環境の破壊をもたらしているのも事実だ。
 “一人一人の人間革命によって、「環境革命」「地球革命」は実現できる”と池田先生は主張する。自らが変革の主体者となって、自己の生命と他の生命の触発の中で、自他共の「生命の歓喜」を目指す――この動的な関係を広げながら、私たちは「生命の世紀」を実現していきたい。


《韶関学池田大作思想研究所 官健生 所長 全てが「かけがえのない命」人間性を豊かにする教育を》
 青少年が自ら命を絶つ、また、人の命を奪う。そうした痛ましい事件が絶えない。
 「いのちの教育」により一層、力を入れることが急務である。自分のいのち、人のいのち、自然界のいのちに心を向けさせる。生きる力を育む。いのちの重さ、いのちの尊さを教える――こうした教育によって、よりよい人生を送ることができるにちがいない。
 「生命」をどう見るか。これは、思想の最重要部分であり、核心中の核心である。
 仏法は、一切衆生は平等に「仏」の生命を持っていると説く。「依正不二」という法理を教え、人間と自然の調和を訴える。これらは東洋の大地に流れる思想といえよう。
 また、シュバイツァーも「生命への畏敬」の念を説いた。愛の原理を生あるもの全てに広げよと提唱した。
 しかしながら昨今の世相を見ると、動物を虐待する例もあれば、拝金主義から人間の生命をも蹂躙して顧みない所業すらある。
 人間性の喪失を憂えずにはいられない。まさに、生命尊厳の思想が今ほど必要な時はないと思う。
 池田先生は『青春対話』で「生命以上の宝はありません。諸君は皆、その生命をもっている。皆、かけがえのない宝の存在です」と述べている。生命は無上である。自分の生命には意味がある。これは疑いないことだ。
 生命は普遍的な価値であり、平等な価値、最高の価値である。生命がどれほど価値あるものかを教えなければ、青少年は、さまざまなストレスを受ける中、生きていく上で危機感を覚えたり、自身の存在の意義を見失う。これでは自らの生命や他の生命を傷つけかねないのではないか。
 「いのちの教育」によって、かけがえのない生命、伸びていく生命を肯定できるように青少年を導くべきだ。生命を傷つけることが、人間の価値を踏みにじる、生命に対する冒涜であることを教えなければならない。
 池田先生は、精神の向上を教える。「人間革命」である。これは魂の変革であり、内心の向上を促すことだ。
 池田先生は「感謝の心」を教える。人にも自然にも、感謝しなければならない、と。
 そして「寛容の心」を教える。池田先生は「人を包みゆくことです。大きな河のような自分になるのです。大きな海のような自分になるのです。大きな大きな青空のような自分になるのです」と語っている。
 さらに「大きな目標をもつ」ことを池田先生は教える。「大願」を抱け、と。目標を明確にすれば、生活を充実させることができ、情熱と活力が満ちてくる。くめども尽きぬ元気の源泉となるのだ。
 これらは、生命を磨くことによって、より高貴なものになることを示唆している。
 生命の価値は、たゆみなく創造し続けなければならない。それでこそ、自身の尊厳を守ることができるのではないだろうか。
 池田先生は「創造的生命」について、「私の胸にあふれてやまぬ“創造”という言葉の実感とは、自己の全存在をかけて、悔いなき仕事を続けたときの自己拡大の生命の勝ちどきであり、汗と涙の結晶作業以外の何物でもありません。“創造的生命”とは、そうした人生行動のたゆみなき練磨のなかに浮かび上がる、生命のダイナミズムであろうかと、思うのであります」と青年に語りかける。
 生命の尊さを真に学んでこそ、人間は、尊厳をもって生き、尊厳をもって死ぬことができるにちがいない。
   (聖教新聞 2012-10-11)