長い道のりを歩み抜く人は一歩の重み、かけがえのなさを知っている

2012年10月15日(月)更新:1
【名字の言】
 「千里の道も一歩より起こる」という。長い道のりを歩み抜く人は、一歩の重み、かけがえのなさを知っている。だから、常に謙虚だ。先日、うかがった2人の農漁光部の友の生き方に、学ぶところが大きかった▼一人は、80代の壮年。昨年、原発事故の影響で、57年間続けた葉タバコの栽培を断念。作付け可能なエゴマとキビに転作し、一から出直した。苦渋の昨秋を乗り越え、今秋、2年ぶりに本格的な収穫ができた。「長かった」――短いひと言に、かえって、道のりの長さ、険しさが偲ばれた▼話す壮年の後ろの壁に、日めくりカレンダーが見えた。「農家は1年周期の仕事なのに、日めくりは珍しいですね」と質問した。彼は「毎朝めくっては、“きょうも負けないぞ!”と、心に誓う日々を送ってきました」と▼別の壮年は、米を作って30年。「ベテランですね」と言うと、意外な答えが返ってきた。「生涯で米を作れるのは、多くて70回ほどだ。毎回、勉強、勉強。そして、来年への決意の連続です」。自然を相手にする仕事だからこそ、一回一回の米作りが、まさに真剣勝負なのだ▼話を聞いた日の夕食、碗に盛られたご飯をかき込む前に、じっと一粒一粒を見つめた。いつも以上に輝いて見えた。(城)
   (聖教新聞 2012-10-14)