社会を希望の光で照らす“太陽”に 「乙御前御消息」(1)

2012年10月16日(火)更新:3
【池田華陽会 御書30編に学ぶ 「乙御前御消息」(1) 社会を希望の光で照らす“太陽”に】
〈本抄の背景〉
●あて名は「乙御前」となっていますが、内容は乙御前の母に送られたものです。
 乙御前の母は、鎌倉の門下で、夫と離別し、女手一つで幼い娘を育てながら純粋な信心を貫きました。
●当時、再びの蒙古襲来の恐怖に、日本中が騒然としていました。本抄には過酷な環境の中、師を求め抜く女性門下への渾身の励ましが綴られています。


〈拝読範囲の大意〉(御書1218ページ冒頭〜1219ページ16行目)
●経典そのものだけでなく、それぞれの経を依経とする実践者にも勝劣があると述べられ、正法を誹謗する真言師を破折されます。


《御文》 経に勝劣あるのみならず大日経の一切の真言師と法華経の行者とを合(ごう)すれば水に火をあはせ露と風とを合するが如し、犬は師子をほうれば腸(はらわた)くさる・修羅は日輪を射奉れば頭七分に破(わ)る、一切の真言師は犬と修羅との如く・法華経の行者は日輪と師子との如し   (御書1219ページ4行目〜6行目)

《通解》 経に勝劣があるだけではありません。大日経を用いる真言宗の全ての僧は、法華経の行者と対決すれば、火が水に消え、露が風に吹き飛ばされるように、はかないものです。「犬は師子に向かって吠えると、腸が腐る」「修羅は太陽に矢を射ると、その頭が七つに割れる」と言われます。真言の僧は「犬や修羅」のようであり、法華経の行者は「太陽や師子」と同じなのです。


〈解説 師匠と進めば、どんな苦難も使命へと〉
 「宗教」の本来の使命――それは、人間を幸福にし、世界を平和へと導くことです。
 大聖人は拝読範囲の最初で、まず一切経の勝劣を明らかにされ、法華経こそが、あらゆる人々を成仏の“彼岸”(向こう岸)へと運ぶ偉大な“大船”であると示されています。
 さらに、掲げた御文にある通り、経に勝劣があるだけでなく、その経の実践者にも勝劣があると教えられています。「持たるる法だに第一ならば持つ人随って第一なるべし」(御書465ページ)との御金言に示されている通り、万人成仏を説く最高の法華経を信じ、実践する人が、どれほど尊貴な存在であるかを教えられています。
 乱世の中で幼子を抱え、頼りとする人もいない乙御前の母に、法華経を持つ人の尊さを伝えようとされる師匠の深き慈愛が拝されます。
 当時、蒙古調伏の加持祈祷を行わせ、国を挙げて頼っていたのは真言師でした。人々は、その謗法の邪義に気づかず、彼らの見せかけの尊い姿に惑わされていたのです。大聖人は、その誤りを正すため、「法華経の行者」と「真言の僧」に、天地雲泥の差があることを明らかにされます。
 水を注げば火が消え去るように、また風によって露が吹き飛ばされるように、真言の僧は、法華経の行者を前にすれば何の力もないと喝破されます。さらに、法華経の行者に敵対することは、「師子を吠える犬」や「修羅」のように自らを滅ぼすものであると、痛烈に破折されています。ここでは真言の僧が国を救う力を持ち得ないことを明らかにされているのです。
 そして、「法華経の行者は日輪と師子との如し」と正義の大宣言をされます。たとえ、いかなる大難が競い起ころうとも、人々を照らし続ける“太陽”のように、万人救済へ戦い抜くとの誓願の師子吼です。
 最高の法を持ち、最極の誓いに生き抜けば、知恵と勇気を発揮して人々を救うことができます。そして、正義だからこそ叫ばなければなりません。この法華経の行者の生き方を大聖人は示されているのです。
 偉大な師の境涯に触れれば、心が大きく広がります。そして、師と共に戦う喜びは、どんな苦難をも使命に変えます。大聖人は乙御前の母に、“共戦の弟子としての誉れ”を教えられていると拝されます。
 共戦の弟子の実践とは、どういうものでしょうか。池田名誉会長は「あらゆる非難・中傷の嵐をも悠然と乗り越えて、どこまでも民衆のため、徹して民衆の中に分け入り、民衆を賢くする」ことが「大聖人の仰せのままの『立正安国』の闘争」であると教えています。
 拝読範囲の最後で、大聖人は「軍(いくさ)には大将軍を魂とす」と仰せです。国そのものを正しい哲理で救いゆこうとされた大聖人の烈々たる精神を受け継いで、正義を語り抜く時は今です。
 師弟共戦の精神を胸に、広宣流布の対話に飛び出し、勝利の波動を起こしていきましょう。


《名誉会長の講義から》
 理想的な社会の実現といっても、すべては、「一人の人間における偉大な人間革命」から始まります。
 大聖人は、その偉大な一人一人を育てようとされました。そして、そのために必要不可欠な要件として、大聖人が教えてくださったのが「信心」です。
 誰人であっても、一生成仏を目指し、「人間革命の信心」を貫き通すならば、確固たる自分自身を確立することができます。
 各人が、「自他共の幸福」を実現する境涯を築きあげる。いかなる逆境にも屈せずに前進し、価値創造の人格を高める。どんな宿命にも負けない、自在な境地を打ち立てゆく信仰です。自身の生命を磨き上げるための信心です。
 この「乙御前御消息」は、蒙古の再びの襲来が予想され、世情や思想が乱れるなかで、女性門下に対して、いよいよ強盛に信心に励み、「本物の一人」に成長すべきことを呼びかけられている御書です。
   ◇ ◆ ◇
 私たちも、「師子」として生き抜きましょう。「太陽」の存在となっていきましょう。
 「師子」は、何ものをも恐れぬ百獣の王です。「太陽」は、社会と世界を燦然と照らし、人々の心に希望を贈ります。(中略)
 「師子」であればら恐れてはならない。「太陽」であれば、負けてはならない。必ず正義と勝利と幸福の人生の軌道を切り開いていける。大聖人は、この大確信を乙御前の母に伝えられていると拝されます。
 (いずれも「勝利の経典『御書』に学ぶ」 〈乙御前御消息(上)〉から)


〈理解を深めよう 竜女の成仏〉
●竜女は感謝を込めて、師・釈尊に誓います。「私は大乗の教え(法華経)を開いて、苦悩の衆生を救ってまいります」と。そして“師匠が自らの成仏を分かってくださっている”とのあふれる喜びを胸に、あらゆる衆生に、妙法を説いている姿を示していきます。その姿を見た裟婆世界の衆生は、「心大歓喜」と説かれるように大いに歓喜します。そして、彼らも不退転の境地を開いて、成仏の記別を受けました。
●成仏から遠いとされていた竜女が、「万人成仏」を証明する最高の希望の存在となったのです。
●池田名誉会長は述べています。
 「女子部は、自分が境涯を高めるだけではなく、縁する皆の境涯を高めていける。心を明るくしていける。(中略)希望と勝利の門を開く、全部の基(もとい)は女子部だよ」と。