寸鉄・太陽の励まし・東日本大震災を見つめて・伝統芸能 他

2012年10月18日(木)更新:2
池田大作名誉会長と顧明遠中国教育学会会長の対談集 「平和の架け橋人間教育を語る」発刊 日中国交正常化40周年を記念】
●対談集の中で顧会長は、両国友好への名誉会長の不屈の行動を賞讃。名誉会長は、顧会長の「愛情なくして教育なし」「興味なくして学習なし」との信念に強い共感を寄せつつ、「郷土と人格形成」「生涯教育」「世界市民の育成」等を巡って語り合っている。
 対談の最後、顧会長は「池田先生は教育を重視し、青年を大事にされ、彼らが世界平和の種となり、中日友好の使者として成長することを期待されています。青年の皆さんが、私たちの事業を引き継ぎ、平和友好の旗を高らかと掲げ、勇敢に前進してくれることを、私も心から期待しています」と両国友好への思いを述べている。 (聖教新聞 2012-10-17、以下同)


【「石川直&ボストン・ブラス」 東京・渋谷で民音公演】
●観客からは「心が伝わる演奏に感動しました」などの声が寄せられた


【わが友に贈る】
 試練の時こそ 成長のチャンス。
 宿命を使命に変えよ!
 力強い題目で 不可能の壁を破れ!


【「グラフSGI」11月号完成 12月号はアフリカ特集】
●創立50周年へ、キャンパスが充実する創価大学を特集。世界市民を育成する特別授業や留学生の声、活躍するOB・OG、受験生に役立つ情報など、創価教育の魅力を伝える。


寸鉄
SGI会長は人格で相手を感化―台湾識者。ここに人間外交の真髄。振舞で勝て
●きょう東京・板橋の日。輝く友情の「金の橋」!本陣の錦州城は不滅なり
●「師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ」。猛然と語れ!奮迅の力で
●「貧困撲滅のための国際デー」。広がる格差社会。今こそ共生の哲学を発信
●21日まで新聞週間。希望送る機関紙作りへ全力。読者、無冠の皆様に感謝


【わが島は広布のモデル地帯! 「部の日」を記念 東京、北海道で離島部の集い】
●池田名誉会長は伝言を送り、使命の友の大奮闘を心から讚嘆。
 「離島こそ、広布のモデル地帯です。どうか、誉れの離島部は、大海原の如く開かれた心で、明るく朗らかに友情と信頼のスクラムを広げていってください。そして、強盛に題目の師子吼を轟かせて、自他共の幸福輝く希望島、和楽島、勝利島を築いていっていただきたい」と語った。
 「離島部の日」の淵源は1978年(昭和53年)10月7日。第1次宗門事件の渦中、約120島の代表が師のもとに駆けつけ、第1回離島本部総会を開催した日である。
●三宅島の木村さんは、「聖教新聞の『地域紀行』で三宅島が2回にわたって掲載され、100人を超える島の友人が聖教を初めて読んでくれました」と笑顔で。
●「環境を変えていくには、自分自身を強くしていくことだよ」
●“一番先に広宣流布する島”
●一人一人をじっと見つめられた先生は、こうおっしゃいました。“君たちは島の歴史に残る人たちだよ。頑張りなさい”と――。
●君たち自身の歴史を残すんだ――師の言葉が胸に刺さりました。環境ではない、自分次第なのだと強く感じました。以来、聖教新聞大白蓮華に掲載される師の指導を抱きしめ、学会活動に励んできました。
 島では、島民がお互いのことをよく知っています。その中で真の信頼を得ることは容易ではありません。
 大誠実の振る舞いを通し、周囲にいる人と友好を結んでいく――これが私の広宣流布であると心に決めています。


【太陽の励まし 池田名誉会長と誓いの同志(とも) 〈8〉 東京戸田記念講堂 大東京よ、立ち上がれ】
●「池田先生は快活でした」「状況が厳しいことを、微塵も感じさせませんでした」
●「神奈川文化会館でも、東京の立川文化会館でも、その振る舞いは同じだった。」
●「私は会員を見捨てないから、何も心配しなくていい」
 「私は広布の戦士だから、戸田先生の弟子だから強い」
 宗門の圧力によって、行動を厳しく制限され、大勢の集まる会合で話すことができない。聖教新聞紙上で、動向が詳しく報じられることもなくなった。
 しかし、名誉会長は変わらなかった。どんな立場であろうと、どこにいようと変わらなかったのである。
●開館から半年の間に、名誉会長は18度、訪れている。
●入るなり、部屋という部屋、給湯室から倉庫まで開けて点検する。「リーダーというのは、隅から隅まで知っていなければいけないんだ」
●「私は、戸田先生の魂を打ち込むために来たよ」
 講堂のある豊島には、恩師・戸田第2代会長が、牧口初代会長と共に獄中闘争を戦った東京拘置所があった。豊島公会堂は、幾たびも恩師の御書講義の会場となってきた。
●「戸田先生の魂」とは、すなわち「池田先生の魂」だ。
 いくら大きな建物ができても、そこに師弟の心が脈動していなければ、広布前進の熱も力も生まれないことを、名誉会長は教えたかったに違いない。
●会場に入った名誉会長は、“やあ!”とあいさつだけすると、ピアノの前に座った。
 「月の砂漠」、そして“大楠公”を弾いた。指を鍵盤にぶつけるように、激しく、力強く――。
 この日から、講堂を舞台に、同志を護りに護り、嵐に揺るがぬ戦いが始まったのである。
●名誉会長は、優しい表情で、しかし、はっきりとした口調で言った。
 「センチメンタルになってはいけない。どんなに悲しくても、明るく祈りきっていくんだよ」
 「どっしりとした題目をあげることだよ」
●「先生は辞任されて一番大変な時。けれど、そんなそぶりは全くお見せにならない。むしろ、私のような一女子部員を大きく包んでくださった。生涯、その恩に報いていかなければ、と思うんです」
●ロビー、エレベーターの前、廊下。時には屋上も。
 講堂のあらゆる場所が、名誉会長の励ましの舞台になった。中でも管理者室を借りて、懇談したり、揮毫することが多かった。
●名誉会長は真剣な顔で言った。「そうだよ!娘さんは100%の女性になるよ!」
 「学園に預かった以上、必ず100%の女性にするよ。心配ないよ――そういう励ましと受け止めました」と津川さん夫妻。
●「会社というのは、大きくするだけが能ではないよ」「小粒でもいいから、どこかピリッとしたところのある、特徴ある会社。臨機応変に対応できる、変わり身が早い、たくましい会社。そういう方がいい場合もある」
●“ナンバーワンよりも、オンリーワンになろう”
●語らいが終わると、名誉会長はさっと筆を走らせ、敏夫さんに差し出した。
 紙には「大桜」とあった。
 「厳しい冬を乗り越え、大きく咲こう――そういう意味があったのだと思います。ただあの当時は、先生がそれほど大変な状況にあるとは思ってもみなかった。悠々と、堂々として、それを少しも感じさせないんです」と敏夫さん。
 「あの時の先生の一言一言にどれほどの価値があるか。時がたつほど、大きくなってきます。感動と感謝は、生涯忘れることはできません」
 同年11月16日。講堂で開かれた本部幹部会で、名誉会長は「威風堂々の歌」の指揮を執った。会長辞任後、初めての学会歌の指揮だった。
 大東京よ、立ち上がれ!
 全同志よ、立ち上がれ!


【きょうの発心 “太陽の仏法”の偉大さを実感】
御文  妙法蓮華経と唱へ持つと云うとも若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらずソ法なり(一生成仏抄、383ページ・編21ページ)
通解 妙法蓮華経と唱え、受持するとはいっても、もし自身の心の外に法があると思うならば、それは全く妙法ではなく劣った粗雑な法である。
●妙法は外ではなく、自身の内なる生命の大海を説き明かした法であると仰せです。
●私の原点は、中学2年生の夏でした。夏季講習会で池田先生にお会いしたのです。その時、生涯、学会から離れないと誓いました。


【あしたへ 東日本大震災を見つめて 友の笑顔のために 皆が一つに生き生きと 「北茨城あすなろ会」借り上げ住宅で住民組織を形成】
●“どこで被災したんだろう。ご家族は無事だったのか……”。入居者が抱えているであろう悲しみを思うと、胸が張り裂けそうだった。
 何とか元気になってほしい。私に何ができるだろうか――祈りを重ねる中、かつ江さんの胸中に、池田名誉会長との忘れ得ぬ出会いが思い起こされた。
 1990年(平成2年)6月、茨城文化会館を初訪問した名誉会長――。
 「常に現状を“いいほうへ、いいほうへ”、“希望へ、喜びへ”と、とらえていける『強い心』をもつことである。ここに、人生の勝利をもたらす『知恵』がある。また、それを実現していけるのが信心である」
●“どんな状況でも、どんな場所でも、学会員としての生き方を貫こう!”
●「睡眠薬を手放せない」「風景や空気のにおいの違いとか、小さな違和感がすごいストレスになる」「倒壊した自宅を思い出して涙が止まらない」――苦しみを共有する友の思いは、次第に一つに。“皆で励まし合い、助け合おう”と。
●「引っ越す人もいるし、入居期間を過ぎればバラバラになる。ここは、単なる仮住まいかもしれないけど、一番つらい時に結んだ絆は、“仮”でなく“生涯の宝”になることを確信できました」


伝統芸能 箏(こと)の音には強い芯がある 生田流箏曲演奏家 後藤すみ子さん】
●「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉がありますが、宮城先生はそういう方でした。私たち学生に一人前の人間として接してくれましたが、偉い人でそういう人はなかなかいません。宝のような6年間でした。
●当時、私たちは絹糸を使っていたせいもあり、弾いた音が緩いのです。弾き終えると、「そんな音しか出ませんか」とおっしゃり、爪をはめていないのに「ビッビッビッ」とすごい音を出されたのです。私たちは爪をはめているのに、先生の出した音の何分の一も出ていない……。今もって忘れられない思い出です。
●邦楽界では「一音成仏」という言葉が使われます。お箏の曲にはきれいに弾くところもありますが、音の持っている「強さ」、そこに特長があります。一つ一つの音がしっかり生きています。