地域に「信頼」と「友情」の絆を

2012年10月20日(土)更新:7
【社説】
 1956年(昭和31年)のきょう10月19日、「日ソ共同宣言」が締結。宣言では、日本とソ連(当時)の戦争状態の終結、外交および領事関係の回復などが明記され、両国の国交が回復した。
 戦争によって途絶えた関係は、修復の緒に就くまでに11年の歳月を要した。
 しかし、米ソ冷戦のさなかでもある。両国の間ですぐに友好が結ばれるわけでもない。何より、お互いを知らないことによる不安があった。日本人はソ連に対して、何となく怖い、冷たいとの先入観を持っていた。
 そうした当時の状況下、相手を信じて友情を結ぶことが、いかに大変なことであったか。

〈不信と誤解の“壁”を破って〉
 74年9月、池田名誉会長(当時、会長)はソ連へ向かった。“宗教者がなぜ共産主義の国に行くのか”との中傷・批判もあった。逆境の中、名誉会長は「そこに、人間がいるからです」と信念の行動を貫いた。
 コスイギン首相との会見で、「あなたの根本的なイデオロギーは何ですか」との首相の問いに、「平和主義であり、文化主義であり、教育主義です。その根底は人間主義です」と名誉会長は答えた。
 世界の平和を築くには、民衆レベルでの文化交流、教育交流の促進が欠かせない。その名誉会長の信念を受け、これまで、民主音楽協会民音)がソ連ノボシビルスク・バレエ団や、全ソ民族舞踊アンサンブルなどを招聘。東京富士美術館では、「国立ロシア美術館展」「第九の怒濤展」などを開催してきた。
 また、創価大学モスクワ大学や極東大学などと交流協定を結び、両国の未来を担う青年の育成にも全魂を傾けた。
 不信と誤解の“壁”を破り、名誉会長は、国家や民族、イデオロギー等の差異を超えて、大誠実の人間外交で、世界に信頼と友情の道を大きく開いてきたのである。

〈自ら一歩を踏み出そう〉
 師の行動に続き、私たちも平和な社会の建設へ、希望と幸福の輪を拡大していきたい。
 友情を広げるといっても、大事なことは、自ら一歩を踏み出す勇気である。勇気こそ、全てを開く鍵である。
 さあ、2013年「青年学会 勝利の年」へ、“自身の壁を破る!”との決意で、私たちも地域や社会に、信頼と友情の絆で結ばれた人間交流の波動を大きく広げていこう。
   (聖教新聞 2012-10-19)