平和へ精神と行動が一致

2012年10月22日(月)更新:1
【英知の光彩 名誉学術称号 受章の足跡 第18回 アルゼンチン 国立コルドバ大学 デリッチ元総長】
 〈デリッチ博士が設立された国際平和研究センターに、池田SGI会長の名前を付けたのはなぜですか〉
 1993年2月にアルゼンチンで、1994年4月に日本で、池田博士とお会いして、すでに長い歳月が過ぎましたが、池田博士と語り合った思い出は、今も私の胸に、はっきりと刻まれています。
 この間、学術活動に取り組む中で、池田博士の平和の精神を後世に永遠に残したいと思うようになり、熟慮を重ねた結果、同センターの創設を決断しました。
 なぜ私が、池田博士の名前を冠したセンターにしたいと思ったのか。
 それは近年、アルゼンチンSGIの青年たちによる文化祭にご招待いただき、あれほど多くの素晴らしい青年たちが、生き生きと演技する姿を目の当たりにしたからです。
 彼らは、地理的境界など飛び越えており、人種差別も性差別も認めない世代に属しています。
 また彼らは、平和とは、日々、自らの手で建設すべきものであり、他民族や他者に対する理解を深め、互いの差異を埋める橋を架けていくことであると理解しています。彼らが相手にしているのは、全人類です。そのことを青年たちに教えてこられたのが、池田博士なのです。
 本来、学問のセンターとは、科学的な知識探求の場所ですが、それに意味を与える道徳的意思や倫理的人生観を伴っていなければ、非常に限られた活動になってしまいます。
 それゆえに私は、池田博士が築き上げてこられた該博な知識はもちろん、人類への奉仕という崇高な目的を、博士の弟子である青年たちと共有していくため、センターに博士のお名前を付けさせていただいたのです。


 〈同センターの設立式典を、SGI会長が65年前に仏法の信仰を始めた日である8月24日に開催されました〉
 その通りです。池田博士が記念提言などで繰り返し指摘されている通り、平和を建設するということは、国家間の戦争を回避したり、全世界的な対話を促進するだけでなく、一人一人の人間関係において、暴力的な手段を回避することが重要です。
 そのためのカギをにぎるのが、日常における教育の推進です。
 学校は、まさに教育を行う場ですが、日常の持続的な人間同士の共存関係、社会の共存関係を強化していくためには、家庭や友人同士、近隣との触れ合いの中に、広い意味での教育が必要です。
 こうした人類的な共存を目的とする人間教育こそ、池田博士が第2次世界大戦の直後から開始され、戦争のない公正で連帯した世界を希求する、全ての人に提案されている事業です。
 私どものセンターの意図することは、そうした活動の一助となることであり、それゆえに、池田博士の入信記念日である8月24日にブエノスアイレスでセンターを発足させました。微力ながら、このセンターが、池田博士の思想の光を全人類に送る、灯台となることを念願しています。


《青年に人生の目的を教え 対話の力で橋を架ける》
 〈1993年2月、デリッチ博士が総長を務めていたコルドバ大学がSGI会長に名誉博士号を授与しました。その経緯を教えてください〉
 コルドバ大学は1613年に創立され、明年、創立400周年を迎えます。
 コルドバ大学は、アルゼンチン最古の大学であり、南北両アメリカにおいても、最古の大学の一つです。
 コルドバ大学において、名誉博士号を授与する際は、教職員や学生を代表する理事会、総長や全ての学部長が賛同しなければいけません。一人でも異論があれば称号は授与されません。
 池田博士は、受章者として並外れた功績が考慮されたのみならず、博士の著作の数々、中でもアーノルド・トインビー博士との対談集は学術的に高く評価され、理事会は全会一致で承認したのです。
 さらにSGIが開催した反核の展示会では、広島・長崎における原爆の惨禍や平和を守る大切さが示され、コルドバ大学のメンバーも大きな衝撃を受けました。


 〈ブエノスアイレス市郊外の会場で行われたSGI会長への授与式の折、デリッチ博士は、滞在中のイタリアから、わざわざ駆けつけて来られたのでしたね〉
 よくご存じですね。私は、池田博士への授与式に出席するためにイタリアから帰国しました。また、わが大学が、名誉博士号を大学外で授与したのは、20世紀において池田博士が最初で最後の方です。
 池田博士とお会いして感銘を受けたのは、その哲学・人類学・文学に関する圧倒的な知識とともに、偉大な平和の精神を表すかのような池田博士の穏やかさでした。
 池田博士はフランスの作家アンドレ・マルロー氏と長時間に及ぶ対談を行っています。マルロー氏は、私がパリ大学で学んでいたころ、大いに敬愛していました。
 マルロー氏の偉大さは、自ら正しいと信じる価値観のために行動したことです。人間の精神、真髄の魂というものは、行動と離れてはならないということを教えてくれました。私が池田博士を大切に思うのは、博士もまた精神と行動が一致しているからです。


 〈デリッチ博士も、70年代から80年代、アルゼンチンの軍事政権と闘った“行動の人”として知られています。未来を担う青年たちにメッセージがあればお願いします。〉
 確かに私は、軍部権力に迫害されました。
 それゆえに、池田博士のように、対話によって人々の間に「橋をつくっている人」を尊敬するのです。
 悪の権力に対しては、「ノー」と言い切っていくところに、信仰の偉大さがあると私は信じています。
 その意味で、創価学会の牧口初代会長が、第2次世界大戦中、日本の軍国主義的な権力と闘って殉教されたことは、非常に重要な道徳的誇りを、後に続く人に与えたことと思います。
 「思想」を「行動」へと結び付け、そして、「身近な目標を達成するための闘争」を、「より良き人生と人間へと向上していくための闘争」に結び付けていく、高き精神性を持った民主的な主体者の存在なくしては、民主主義は不完全なのです。
 これがおそらく、私が現代の青年に贈るメッセージではないかと思います。


【世界はなぜ讃えるのか 解説 命懸けの人だから】
 SGI会長が1993年2月、アルゼンチンを初訪問して明年で20周年となる。アルゼンチン各界から寄せられるSGI会長の平和・教育思想への評価は高まるばかりである。
 なぜか。アルゼンチンSGIのミナガワ理事長は証言する。 「こうした識者の中には、デリッチ博士をはじめ、ノーベル平和賞を受賞した人権活動家のエスキベル博士ら、アルゼンチンを苦しめた軍事政権と闘った人物が少なくありません。ご存じの通り、エスキベル博士は、あと数分後には殺されるという寸前まで軍事政権に蹂躙されました。デリッチ博士も大学を追放されますが、正義の言論闘争を最後までやめませんでした。皆、本当に命を懸けて闘った本物の平和建設の勇者の方々です。だからこそ、池田先生の真実の平和の心を汲み取り、深く理解されているのではないでしょうか」と。
   (聖教新聞 2012-10-21)