心を磨き、「開かれた対話」へ挑みたい

2012年10月23日(火)更新:1
【名字の言】
 完全に光を遮断した暗闇の中で、風の音を聴き、床の感触を感じ、コーヒーやお酒の味や香りを楽しむ。「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」(闇の中の対話)という体験企画が、ヨーロッパを中心に反響を呼び、東京でも長期開催中だ▼参加者は視覚障害者の手助けのもと、暗闇の中でさまざまな体験をする。そこでは、視覚障害者と健常者の立場が完全に入れ替わる。手を差し伸べる側から、差し伸べられる側へ。その立場の逆転が、心に巣くう差別などの“壁”を壊すことにつながるという▼意見、識見、偏見……「見」は、そのまま「考え方」との意味で使われる。それほど「目」が人の心に及ぼす影響は大きい▼仏法では、人を悪道に導く三惑(さんわく)の一つに「見思惑(けんじわく)」〈見惑(けんわく)と思惑(しわく)〉を立てる。「見惑」とはつまるところ、今、自分の目で見たことが絶対で、その状況が変わり得ること、異なる考え方があり得ることを知ろうとしない心を指すともいえる▼「人権」と言えば堅苦しく聞こえるが、本来、難しいことではない。ちょっと立ち止まり、相手の立場になって考える。自分と異なるものに興味を持ち、自分にないものを持つ人を尊敬する。ここから、人権社会の開拓は始まる。心を磨き、「開かれた対話」へ挑みたい。
   (聖教新聞 2012-10-22)