相手を思う気持ちが、相手に届く言葉を生み、共感と納得を育んでいく

2012年11月13日(火)更新:1
【名字の言】
 本紙の記事で「目が点になった」という表現を用いたところ、高齢の方から「意味が分からない」と、お叱りを受けたことがある▼調べると、マンガで、主人公が驚き呆れた様子を「目」を「点」にして描いたことから生まれた語で、使われ始めてまだ30年ほどという。読者の視点に立って、言葉を紡ぐことの難しさを痛感した▼最新の文化庁の国語世論調査によれば、「むかつく(腹が立つ)」は5割以上の人が使う。「チョー(とても)きれいだ」(26・2%)、「がっつり(しっかり、たくさん)食べよう」(21・8%)のほか、「全然(とても)明るい」も2割の人が日常的に使うと答えた。「全然」を「〜ない」など打ち消しの語で受ける文法も、崩れつつある▼言葉は時代とともに変化するもの。新語が次々に生まれ、用法も変わる。それはある程度、仕方のないことかもしれない。問題は、状況や相手に応じて適切に使えるかどうかだ▼哲学者ヤスパースは、釈尊を「言葉を自在に使う人」と称した。日蓮大聖人は「言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり」(御書563ページ)と。時代が変わっても、大切なのは「心の思い」。相手を思う気持ちが、相手に届く言葉を生み、共感と納得を育んでいく。(立)
   (聖教新聞 2012-11-07)