永遠に厳たり 創価の師弟城
2012年11月24日(土)更新:2
【随筆 我らの勝利の大道〈89〉 「創立」の原点に誓う】
大輪の
菊花満開
創価かな
十一月十八日「創立の日」を迎える学会本部は今、全国の同志から届けられた菊の花で輝いている。
東京の足立、山梨、茨城の土浦・筑波、京都の友らが丹精込めた菊花が眩い。山科王朝グループの創作屏風も華やかだ。
さらに大阪の泉州総県、また、文化本部の「菊花グループ」等の方々からの真心の大輪も香しい。
日蓮大聖人は仰せになられた。
「菊は草の後(のち)に仙草(せんそう)と見へて候、代のおさまれるには賢人見えず代の乱れたるにこそ聖人愚人は顕れ候へ」(御書一〇九五ページ)
他の草が秋になって枯れても、菊は咲いているため「仙草」(妙なる草の意)と呼ばれた。同じように、“世の中が乱れている時にこそ、聖人と愚人は明らかになる”と示されている。
試練の時にこそ、人間の真価は光る。ゆえに、苦難にも胸を張り、朗らかに自分らしく開花しゆくのだ。
〈創価の父の大確信〉
●十一月十八日は「創立の日」であるとともに、初代会長・牧口常三郎先生が、大法のゆえに獄死された「殉教の日」である。
「但生涯本より思い切て候 今に飜返ること無く 其の上 又違恨無し 諸の悪人は又善知識なり」(同九六二ページ)
この御聖訓の通り、決然と、そして悠然と、戦い抜かれた「不惜身命」「死身弘法」の大英雄が、我らの創立の父であられる。
牧口先生は獄中でも悠々と書き記されていた。
「何処でも、信仰が第一です」「何の不安もない。必ず『変毒為薬(毒を変じて薬と為す)』となると存じます」と。
この牧口先生に唯一人、獄中まで感謝を込めてお供された第二代会長・戸田城聖先生は叫ばれた。
「牧口会長のあの確信を想起せよ。絶対の確信に立たれていたではないか」と。
●昭和五十四年(一九七九年)の創立記念日は、神奈川文化会館で、私は、鎌倉など縁深き共戦の友と大いに語り合った。
「信心は、詮ずるところは確信です。自信です。希望です。何があっても、確信、自信、そして希望を生み出し、燃え続ける人が本当の信仰者なのです」と。
私たちが妙法に巡り合えたのは、ひとえに、身命を賭した創価の師弟の大闘争があればこそである。
ゆえに、いついかなる時も、我らは、一切の原点である「創立の精神」に立ち返りながら、迷いも恐れもなく、広宣流布の大誓願に燃えて打って出ていくのだ。
「勇猛精進し給え!」とは、牧口先生が常に青年に贈られた師子吼である。
〈広布の大願へ 勇猛精進で! 大聖業を誇り高く〉
●牧口先生は断言された。
「大目的が確立してこそ中目的、小目的が明確になり、その方法もうまれる」
我らには、「広宣流布」「一生成仏」という究極の大目的がある。これほど、強く正しく、意義ある生命の軌道は絶対にない。
私が交友を結んだ、世界的な細菌学者のルネ・デュボス博士が引かれていた寓話を思い出す。
――ある時、レンガ運びをしている三人がいた。彼らに通行人が尋ねた。「何をしているんだい」
一人目が答えた。
「石運びだよ」
次に二人目は、「壁を積んでいるのさ」と。
そして三人目は、誇らかに答えた。「聖堂を建ててるんだ」と。
見た目は同じ作業をしていても、何と大きな心の広がりを持てることか。
言われたことを、ただ、やるだけではない。表面的な目標として理解するだけでもない。その本質をとらえ、遠大な自らの理想として成し遂げていくのだ。
広宣流布は、一人ひとりが我が生命に幸福の宮殿を築きながら、人類が夢見た人間共和の「永遠の都」を建設しゆく大聖業である。
現実の仕事や眼前の戦いには、誠実に緻密に精確に挑み、心には宇宙大のロマンを光らせていくのだ。
さあ、「創立の月」から、目を見張る勢いで大前進を開始しよう! 新たな人間革命の劇の幕開けだ!
私自身も、大いなる総仕上げに、いやまして戦い抜く決心である。
広布史上に燦然と輝きわたる大勝利劇で、世界中の同志と共に、創価の万歳を轟かせようではないか!
湧き出ずる
勝利の力
師弟城
牧口先生の獄中書簡は一部補足。デュボスの寓話は『生命の灯』長野敬・新村朋美訳(思索社)。
(聖教新聞 2012-11-15)