太陽の励まし 他

2013年1月13日(日)更新:7
【わが友に贈る】
 努力はうそをつかない。
 毎日の積み重ねは
 必ず豊かな実を結ぶ。
 自分を信じて進もう!
 「必ず勝つ」と強い心で!
   (聖教新聞 2013-01-13、以下同)


寸鉄
創価哲学は個人と団体の可能性を最大に引き出す―識者(シンガポール)。成長と繁栄の光
●未来部の日。使命会・育成部長の皆様に心から感謝 万年を開く聖業に大福徳
●何としても友を幸せに! わが地区を人材の城に! 幹部(リーダー)は大情熱で祈り走れ
●「安全な街作り進んでいない」7割―岩手被災地。復興へ、一段と加速せよ
●若者の雇用支援策、続々検討と。青年の育成は国家の大計。公明よ牽引を


【太陽の励まし 池田名誉会長と誓いの同志(とも) 東京・信濃町 ここが私の「勝利の道(ビクトリーロード)」】
〈輝く本陣の朝〉
●「毎日、聖教新聞がわが家に届く」「いかなる執筆をしても、配達員の方がたがいなければ読者には達しない。寒い日も、雨の日も、眠い日も、毎日毎日、本当にありがとう」
●権田原坂、出羽坂、新助坂…。信濃町の界隈には坂が多い。起伏に富む地形は、ここが武蔵野大地の東端(とうたん)にあたっているからだ。
 野沢さんは、そんな坂道を上るのが大好きだ。特に、聖教新聞本社へと続く急勾配の坂が「一番美しい」という。
 坂の向こうに輝く星空や月天を見つめると、“先生、本当に幸せです”と胸がはずむ。つらいことがあった時は“勝ちます”と心に誓う。
 野沢さんは語った。
 「この坂道が、私の『ビクトリーロード』なんです!」

〈不恰好な鏡餅
●野沢さん一家をはじめ、ことあるごとに、信濃町の友を、名誉会長は励まし続けてきた。
 特別扱いしているのではない。身近に縁する人々を励まさずにいられないのが、名誉会長の真情なのだ。
●86年(昭和61年)の12月30日。懸命に杵(きね)を握る青年たちがいた。南元支部(当時)の12人の男子部員である。
 日ごろの感謝と、師匠に直結して正義の戦いを起こす決意を、鏡餅に託して、名誉会長に届けようというのだ。
 だが、素人の悲しさ。出来上がった餅は粒が粗く、丸く扁平にのすのが精いっぱい。見るからに不恰好な代物だ。
 “それでも、先生は心を分かってくださるはず”
 思い切って届けたところ、直後に連絡があった。
 学会本部での新年の集いに招待します――と。
 87年(同62年)の元日。新年の集いで、12人をはじめ、同支部の男女青年部が名誉会長の前に並んだ。
 居並ぶ最高幹部を前にして緊張する青年たちに、名誉会長は温かく語り掛けた。
 「ありがとう!成長をずっと見守っているよ。来年、また来なさい!」
鏡餅をついた青年たちは、今、全員が支部長や地区部長など、広布の第一線に立つ。

〈笑ってごらん〉
●名誉会長は包み込むように、こう話した。
 「信心のことで、けんかなんかしちゃいけない。良い娘になることが一番なんだ」
 「お父さんは、創価学会に娘を取られたと思っているんだ。だから『お父さん』『お父さん』と言ってあげるんだよ」
●名誉会長は続けた。「涙を拭きなさい。笑ってごらん。笑って、僕についてくるんだよ」
●「この信心を貫いていくことが最高の、そして永遠の親孝行になることを確信しています。だからこそ信心に励んでいるのです」
 名誉会長から伝言が届いた。「お正月には岩手に帰りなさい。そしてこの記事を、そっとお父さんの机の上に置いてくるんだよ」
 その通りに実行した篠川さん。ここから、父は徐々に変わっていった。篠川さんの父への愛情も深まった。
●篠川さんは、震災10日後に、避難所で、ようやく父娘の再会を果たした。その喜びを報告すると、すぐさま名誉会長から伝言が届いた。
 「良かった、本当に良かった!」。さらに「お父さんに渡せるようだったら、これを」と、自身の作品を収めた写真集までも――。
●一人の幸せのために、ここまで心を砕き、手を差し伸べ、見守り続ける――「池田名誉会長の真実」を誰よりも知るのは、信濃町の友であり、本陣・新宿の同志である。