(3)貧困に苦しむ人々の尊厳 社会的に保護する制度を!

2013年2月3日(日)更新:5
〈人権文化の建設へ取り組むべき課題〉
 国連では2005年にスタートした「人権教育のための世界プログラム」を通し、「人権文化の建設」を推進してきました。
 私は、この取り組みを今後も強化することと併せて、2030年に向けての「持続可能な開発目標」の柱に、先ほどの軍縮と並んで人権の分野を加えることを呼びかけたい。
 この点、国連のナバネセム・ピレイ人権高等弁務官が昨年6月、リオ+20の成果を踏まえつつ、“我々は「持続可能な開発目標」が人権に関する枠組みであることを確実にしなければならない”と訴えていたことに、深く共感します。
 そこで私は、「人権文化の建設」の観点から、2030年までの目標として具体的に二つの項目を盛り込むことを提案したい。
 一つ目は、極度の貧困に苦しむ人々が尊厳ある生を取り戻すための「社会的保護の床(ゆか)」を全ての国で整備することです。
 「世界人権宣言」で生活水準についての権利が謳われているにもかかわらず、人間らしい生活をするための最低限の水準を保障する社会的保護を受けることができず、苦しい毎日を送らざるを得ない人々が世界で大勢います。
 特に近年、世界経済危機のために、雇用や保健、教育などの面で人々が被る影響が厳しさを増しており、国連は2009年に「社会的保護の床イニシアチブ」を立ち上げました。
 従来、こうした問題の対策としてセーフティーネット(安全網)の整備が考えられてきましたが、“網”では抜け落ちてしまう人も出てくる恐れがあり、全ての人を受け止め、尊厳ある生が送られるように支える“床”の概念が提起されるようになったのです。
 世界中の人々に「社会的保護の床」を確保することは、かなりの難題のように思われますが、国連機関の試算では、最低限の所得や生計の保障に関する基礎部分の整備に限っていえば、どのような経済発展の段階にある国でも負担は可能であることが示されており、すでに約30カ国の途上国で導入が進んでいます。
 こうした中、国連人権理事会でも「極度の貧困と人権」の問題が焦点となり、昨年9月には、その問題に取り組むための指針原則が採択されました。
 そこでは、極度の貧困にある人が自分自身について決定を下す権利や、参加とエンパワーメントなどを原則に掲げる一方で、貧困の削減と社会的排除を解消する包括的な計画や、極度の貧困にある人に重点を置いた政策の策定が各国に呼びかけられています。
 グラミン銀行の創設者であるムハマド・ユヌス氏が「貧困は運命をコントロールしようとするあらゆるものを人々から奪うため、人権の究極の否定になる」(『貧困のない世界を創る』猪熊弘子訳、早川書房)と訴えたように、貧困は尊厳の土台を蝕むものとして緊急性をもって取り組むべき課題です。
 特に懸念されるのは、若者を取り巻く状況です。
 世界の若者の12%が失業中で、仕事があっても2億人以上が1日2ドルに満たない賃金労働を余儀なくされており、ILO(国際労働機関)の総会が昨年6月に採択した決議では、「『活発な行動を即時に取らない限り、地球社会は失われた世代という悲惨な遺産』に直面することになる」(ILO駐日事務所のホームページ)との警告がなされています。
 若者たちが希望を持てない社会に、持続可能な未来など描けるはずもなく、人権文化を育む気風が根づくこともありません。
 ゆえに、「社会的保護の床」の確保こそ、持続可能性と人権文化の大前提であるとの意識で取り組むべきだと訴えたいのです。


〈キング博士の人権闘争の主眼〉
 二つ目の項目は、全ての国で人権教育と人権研修を普及させることです。
 前半で私は、どんな状況に直面している人であっても、人々との触れ合いや社会の支えが、絆や縁となって、生きる希望と尊厳を取り戻すための道が開かれることを強調しました。
 人権の文脈でいえば、人権保障や救済措置といった法制度とともに、人権教育や研修を通じた意識啓発が、その縁になり得ると思います。前半で触れた人権教育映画では、人権侵害の被害者や、場合によって加害者になる可能性のある人々が、その縁に触れたことで、どんな変化が生じたかが紹介されています。
 ――差別に苦しんできた一人の少年は学校で人権教育を受けたことをきっかけに、おかしいと感じたことは思い切って言えるようになった。近所で少女が強制的に婚約させられた話を聞いた時には、家庭が貧しいからと理由を語る両親に、少年が「それは間違ってます。女の子も教育を受けないと」と懸命に訴えた結果、結婚はとりやめになり、少女は学校にとどまり続けることができた。
 また、オーストラリアのビクトリア州の警察では、全職員が人権教育を受け、捜査や逮捕、勾留における対応の見直しが進められた結果、人権侵害への苦情が減り、市民との信頼関係も高まった――と。
 この映画が浮き彫りにしているのは、自己の尊厳や他者の尊厳への目覚めを通して、人権に対する意識が実感をもって一人一人の心に宿ることで、人権文化の礎石が社会で着実に敷かれていくという事実です。
 歴史学者のビンセント・ハーディング博士は、私との対談集で、盟友であったマーチン・ルーサー・キング博士の人権闘争の目的は「単に『不正や抑圧に終止符を打つ』だけではなく、『新しい現実を創造すること』にあった」(『希望の教育 平和の行進』第三文明社)と指摘しましたが、人権文化を建設する生命線も、この「新しい現実」の創造にあるのではないでしょうか。
 そこで私は、「持続可能な開発のための教育の10年」=注6=に基づき、国連大学が進めてきた活動にならう形で、「人権教育と研修のための地域拠点」制度を国連の枠組みとして設けることを提案したい。
 現在、同10年を推進するために世界で101の地域拠点が設けられ、大学やNGOなどが協力する形で、地域をあげて「持続可能な開発のための教育」を効果的に実践するための活動が行われています。
 人権教育においても同様の制度を導入し、模範的な活動が進んでいる地域だけでなく、深刻な問題に直面した歴史を持ちながらも改善への努力を懸命に続けてきた地域を、積極的に対象に組み入れ、“多くの痛みを実際に経験した地域”ならではのメッセージを発信する体制を整えていくことを呼びかけたい。
 それが、同様の問題を抱える他の地域にとっての何よりの希望や励みになるだけでなく、より多くの人々が実感をもって人権文化を世界中で育んでいく力になると信じるからです。


 注6 持続可能な開発のための教育の10年
 一人一人の人間が、世界の人々や将来世代、また環境との関係性の中で生きていることを認識し、行動を変革するための教育を推進する国連の枠組み。2002年の国連総会で決議され、2005年からスタートした。最終年となる来年には、10年間の取り組みを総括する世界会議が日本で行われる予定となっている。


《子どもの権利を守る国内法を各国で整備》
〈子ども第一の原則を確立するために〉
 続いて、「人権文化の建設」を進める上で重要な担い手となる、子どもたちを取り巻く状況を改善するために、全ての国が「子どもの権利条約」とその選択議定書を批准し、条約に関わる国内法の整備を進めることを呼びかけたい。
 1989年に採択された「子どもの権利条約」は、今や締約国が193に及ぶ、国連でも最大の人権条約となっています。
 しかし、関連する国内法の整備が各国で十分に進んでおらず、また社会における意識の浸透にも課題が残っているため、いとも簡単に権利が無視されたり、重大な侵害が続く場合が少なくないのが現実です。
 こうした中、特に重大な侵害を防ぐために制定されたのが選択議定書で、18歳未満の子ども兵士の禁止や、子どもの売買等に関する二つの議定書に加えて、2011年12月には権利侵害の通報手続に関する議定書が採択されました。
 このうち、子ども兵士の禁止は、私も提言などで繰り返し訴えてきたものですが、シエラレオネでの内戦で子ども兵士として従軍した経験を持ち、現在は子どもの権利の実現を訴える活動に取り組んでいるイシュマエル・ベア氏が述べた言葉が忘れられません。
 ベア氏は16歳の時、会議出席のために国連を訪れ、「子どもの権利条約」を初めて知った時の衝撃を、「この知識が――とりわけ紛争で荒廃した国々から来た子どもたちにとって――いかに私たちの生命の価値と人間性を改めて呼び覚ますものであったかを覚えている」と述懐した上で、こう強調しています。
 「私の人生は、第12条及び13条によっても豊かなものとなった。そこでは、子どもや若者たちに、自分たちに影響を及ぼす事柄について自由に考えを表明する権利と、あらゆるメディアを通じてあらゆる種類の重要な『情報及び考えを求め、受け及び伝える』権利が保障されている。これらの条項のおかげで、大勢の子どもたちが、自分たちに影響を及ぼす問題に対する解決策を見つけるため、積極的に参加できるようになった」(『世界子供白書 特別版 2010』日本ユニセフ協会)と。
 私は、ベア氏の経験に象徴されるように、「子どもの権利条約」が自らの尊厳性に目覚める源泉となり、若い世代の生きる希望の拠り所となるように、各国で条約を守る気風を確立し、社会全体に“子ども第一”の原則を根づかせていくべきであると訴えたい。
 この気風の中で育った若い世代が社会の担い手となり、彼らがまた同じ心で次の世代を大切に育てていく――同条約の淵源となった1924年の「児童の権利に関するジュネーブ宣言」の前文に「人類が児童に対して最善のものを与えるべき義務を負う」と記されていますが、この崇高な誓いを世代から世代へ受け継ぐ流れを確立する中で、人権文化は社会を支える中軸に結実していくに違いないと思うのです。
   (聖教新聞 2013-01-27)