教学 一人から歴史は生まれる!

2013年2月6日(水)更新:6
【2月度男子部「御書活動者会」研鑽のために 法蓮抄 男子部教学室編】
 2月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「法蓮抄」を研鑽。青年部の魂ともいうべき「一人立つ」精神の重要性を学ぶ。

《御文》
 今法華経と申すは一切衆生を仏になす秘術まします御経なり、所謂地獄の一人・餓鬼の一人・乃至九界の一人を仏になせば一切衆生・皆仏になるべきことはり顕る、譬えば竹の節を一つ破ぬれば余の節亦破るるが如し(御書1046ページ)

《通解》
 今、法華経というのは、一切衆生を仏にする秘術がある御経である。いわゆる地獄界の一人、餓鬼界の一人、そして九界の中の一人を仏にすることによって、一切衆生が皆、仏になることができるという道理が顕れたのである。たとえば、竹の節を一つ破れば、他の節もそれにしたがって破れるようなものである。


〈背景と大意〉
 本抄は建治元年(1275年)、日蓮大聖人が54歳の時に身延で認められ、下総国葛飾郡曾谷郷(現在の千葉県市川市)に住んでいた曾谷教信(法蓮)という門下に与えられた。
 自分の父の十三回忌にあたり、大聖人への御供養とともに、追善供養の時に読み上げる文をお送りしたのを受け、その孝養の心を讃えられ、種々御教示されたものである。
 最初に、法華経の行者を讃嘆する功徳と、釈尊を供養する功徳とを比較され、法華経の行者を供養する功徳がよりすぐれていることを示される。そして亡き父の追善のために、自我偈を読誦してきた功徳がいかに大きいかを、故事を引いて述べられる。
 続いて、法華経は一々の文字が皆生身の仏である故に、法蓮の読んだ経文の文字が仏として現れて、慈父の聖霊を助け救うであろうと教えられ、法蓮の孝養の尊さを賞讃される。このことから、本抄は「父子成仏抄」とも呼ばれている。


〈“破竹の勢い”で「2月闘争」を〉
 現代社会に渦巻く経済苦や病苦、人間関係の悩み……。そうした苦しみを、どう乗り越え、勝ち越えていくか。
 今回の研鑽範囲の冒頭、日蓮大聖人は「法華経と申すは一切衆生を仏になす秘術」と御断言されている。それは、いかなる苦しみがあろうとも、この妙法によって全ての人が仏の生命を涌現し、勝利の人生を開いていけるとの仰せにほかならない。
 万人がその身のままで成仏できるとの教えは、法華経以前の爾前経では説かれなかった。
 爾前経では、地獄界から菩薩界までの九界と仏界が断絶していたため、何度も生まれ変わって修行を重ねる「歴劫修行」をし、九界の迷いの生命を断ち切らなければならないとされていたからだ。
 しかし、法華経では「十界互具」が明かされた。これは、どんな境涯の衆生にも、仏界をはじめとする十界の生命が等しく具わるとするものである。
 本抄では「所謂地獄の一人・餓鬼の一人・乃至九界の一人を仏になせば一切衆生・皆仏になるべきことはり顕る」と述べられている。地獄界や餓鬼界の衆生の代表の成仏を示すことで、他の一切衆生もまた成仏できることが明かされたのである。
 そして、そのことを分かりやすく示すために、大聖人は続けて「竹の節」の譬えを用いられている。
 ――竹の一つの節を割れば、他の節も自然と割れていく。それと同じく、九界のそれぞれの衆生が一人でも成仏できれば、一切衆生が等しく成仏できるのだ――と。
 大事なのは壁を破る「一人」の存在だ。一人が人間革命、宿命転換の姿を示すことで、周りの人々に「私にもできる」「自分も挑戦してみよう」との勇気の波動を広げていける。
 草創以来、学会では、この大聖人の仰せのままに、無数の庶民が“蘇生のドラマ”をつづってきた。
 病気や経済苦などの苦難を克服したという幾多の同志の信仰体験こそ、全ての人が必ず仏の大境涯を開いていけるとの証左ではないか。
 一人の人間に、どれほど偉大な力が具わっているか。一人が立ち上がれば、どれほど大きな波動を巻き起こしていけるか。
 池田名誉会長は若き日、さまざまな地域で弘教・拡大の指揮を執り、まさに“破竹の勢い”で広布の原野を切り開いてきた。
 1952年(昭和27年)の「2月闘争」もその一つである。
 当時、大きな支部でも折伏は月で100世帯前後。戸田第2代会長の願業である75万世帯の達成には、ほど遠かった。その状況を打開すべく、蒲田支部幹事に任命されたのが24歳の名誉会長だった。
 名誉会長の指揮のもと、蒲田支部は2月の1カ月間で201世帯の弘教を達成。それまでの「壁」を大きく打ち破った。この闘争に、他の支部も続いた。
 若き弟子の戦いが、75万世帯達成への突破口を開いたのだ。
 2月闘争の勝利の要諦として、次の点をあげることができる。
 まず、目標を明確にした。当時の一番小さな組織である「組」に焦点を当て、「組2世帯の折伏」という目標を掲げた。皆が、これならできると奮起する具体的な目標だった。
 また名誉会長は、「祈りから始めること」「近隣を大切にすること」「体験を語ること」を訴えた。どうすれば弘教が進むのか、具体的な行動を明確にしたのである。
 さらに、「師匠のために戦おう」と強調した。名誉会長は、同志に「戸田先生の52回目の誕生の月を、なんとしても歴史的金字塔で荘厳しましょう!」と訴えた。
 「師匠のために」戦うから、底力が出る。師と心を合わせれば、必ず勝利できる。この師弟という一点から出発したのだ。そして、自身が徹して一人一人に会い、励ましを送っていったのである。
 「青年学会 勝利の年」を迎えた今、新たな広布の主役は、我々、池田門下の青年である。若き日の師の闘争を胸に、一人一人が、新時代の「2月闘争」の歴史をつづっていきたい。

《人間革命 永遠の幸福を築くための信心》
 私が大学へ進学する時、両親から「これだけは学んでほしい」と手渡された書籍がある。池田先生の小説『人間革命』である。創価の師弟の峻厳さに触れ、心を打たれた私は、仏法対話に挑戦。初めての弘教を実らせることができた。
 このほど、聖教ワイド文庫の小説『人間革命』第2版の第1巻が発刊された。時代の変遷をふまえ、池田先生が「五十年後の、若い読者が読んでもよくわかるように」と推敲し、表現や表記等も一部改めて刊行されたものである。私は同書を読み、学会の精神の正史を留めゆかんとする先生の心を深く感じ、襟を正す思いであった。
 聖教新聞紙上で『人間革命』の連載が開始されたのは、1965年(昭和40年)の元日号だ。直後の1月18日、先生は鳥取県の米子会館(当時)で開かれた地区部長会へ。一人一人と固い握手を交わし、“全部、自身の人間革命のためであり、永遠の福運と福徳と幸福を築くための信心です”と全魂の励ましを送られた。
 師の言葉を胸に、鳥取の同志は人間革命の実証を堂々と示してきた。
 御聖訓に「物たねと申すもの一なれども植えぬれば多くとなり」(御書971ページ)と。広宣流布は、日蓮大聖人お一人の闘争から始まった。若き池田先生もまた、「一人立つ」弟子の戦いで、信頼と友情の連帯を全世界へと広げてこられた。
 いよいよ「伝統の2月」。人間革命の“勝利劇”の主役は我ら!――との決意で、友との対話に飛び出したい。
   (聖教新聞 2013-01-29)