凱歌の春が来た!

2013年2月22日(金)更新:5
【太陽の励まし 池田名誉会長と誓いの同志(とも) 〈20〉茨城】
●池田名誉会長が茨城県幹部会に出席。「全国一の茨城を、世界一の信心の王国をつくろう!」と(1982年2月8日、水戸・茨城文化会館で)
●いわゆる「反転攻勢」と呼ばれる名誉会長の激励行は、前年11月の四国から関西、中部、九州の大分・熊本、神奈川の小田原、東北の秋田と続き、この茨城で、一つの総仕上げを迎えた。
 第1次宗門事件の嵐に耐えた茨城が立ち上がることをもって、“冬”は終わり、広布の“春”が来たのである。

《燃えた6日間》
●31年前、名誉会長はまず、8日と9日を、水戸・茨城文化会館を中心とした激励に割いた。連日、会合に出席し、功労の友と語らい、記念撮影に納まり、支部証や和歌を認めている。
 そして、10日に向かったのが日立だった。総務時代の59年(同34年)に訪れて以来、23年ぶりである。ここにも、坊主の悪口・悪行に耐えた同志が待っていた。

●待ち続けたバスは、赤信号で目の前に止まった。だが、光が窓ガラスに反射して、車内の様子がよく分からない。
 「それでも、無我夢中で手を振って。先生を想像しながらね」。
●「うちの人たちだよ」
 車内の名誉会長は、いち早く気付いていた。「あのご婦人たちによろしく言ってね」
 そして、海を撮っていたカメラを春江さんたちの方に向け、シャッターを切った。
東海村付近や茨城文化会館に着く直前などで、遭遇したメンバーに励ましの伝言が贈られている。
 そして、到着するや、勝田・常総稲敷の3000人の友が集う勤行会に臨んだ。
●名誉会長は、体調を気遣う周囲の声を押して、「あれだけ苦しんだ茨城の友が待っているんだ」と、激励を続けていたのだ。
●この日、名誉会長は青年部の代表3500人と同会館で記念撮影。その後、南の鹿島会館(現・鹿嶋市)へ走った。鹿島は、県北の日立などとともに、宗門事件の嵐に最もさらされた地域である。
 「苦難の道を歩んでこられた鹿島の同志のことは、生涯、私は絶対に忘れない」
●小高さんは、全国紙の販売店を営む夫の茂さん(同県、副支部長)と共に、“姉の分まで”との思いで仕事、子育ても、学会活動も、一歩も引かずに頑張り抜いてきた。
 「大それたことはできないけど、先生のように、自分も目の前の一人を励ます。それが、先生にお応えする道だと思ってきました」
 小高さんの続けた一言が、あの黄金の日々を象徴しているように思えた。
 「心臓から体の隅々に血液が送り出されるように、まるで、池田先生の温かい心が、茨城中に行き渡るようでした。燃えるような6日間でした」

《鉾田のイチゴ君》
●小高さんが激励を受ける数時間前、鉾田町の懇談の席に、摘んだばかりのイチゴを届けに来た青年がいる。
●「イチゴを届けてくれ」。父の一言で、取る物も取りあえず飛んできた。
 「少々お待ちください」と役員。しばらくすると「お入りください」と中に通された。
 宇佐見さんは、イチゴを抱えたまま、名誉会長の脇に進み出た。心臓が高なっているのが、自分でも分かる。
 「ありがとう」と名誉会長。イチゴは、参加者に振る舞われることになった。
 しばし懇談の後、名誉会長もそれを手に取ると、「大きいイチゴだね!」と言って、一つほおばった。
 「おお、おいしいね!」 そして宇佐見さんに振り向き、名誉会長は言った。
 「鉾田のイチゴ君だね!」
●今、鉾田は全国でも有数のイチゴ産地に。東日本大震災の後、風評被害が激しく、観光農園は休業しているが、栽培規模を震災以前よりも拡大。「名実ともに一番のイチゴ農家に」と、長男の達夫さん(男子部員)と共に、挑戦を続けている。

 おお寒風に 梅の香(か)を 君も友どち 耐え勝ちぬ…

 31年前、行く先々で、名誉会長と茨城の同志は、県歌「凱歌の人生」を、誇りを込めて歌った。
 われらは勝ったのだ。勝ち続けるのだ――と。
 燃えるような喜びは、梅花の季節が巡るたびに、語り継がれ、青年たちの心を焦がす。茨城の勝利の松明となり続けるに違いない。
   (聖教新聞 2013-02-21)