七文字の法華経を流布すべき大任をおびて出現した事を自覚致しました

2013年2月22日(金)更新:6
・『大聖人の誓願は、一切衆生を発迹顕本させることにあったといえよう』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20160104


【新・人間革命 勇将 八】
 熱原の農民信徒のなかでも、神四郎、弥五郎、弥六郎の三人は、命に及ぶ大難のなかで、微動だにすることなく正法正義を貫き、殉教していった。その振る舞い、境涯は、地涌の菩薩であり、御本仏・日蓮大聖人の弟子たる本地を顕した姿といえよう。
 この熱原の三烈士の殉難は、悲愴なドラマではない。法難に立ち向かうなかで、生死の苦しみの縛を離れ、成仏という永遠なる絶対的幸福境涯を確立したのである。
 正法のために、殉教していった人もいる。また、生きて戦い抜いた人もいる。いずれにせよ、広宣流布に一切を捧げ抜くことを深く決意し、果敢な実践を開始していくなかに、発迹顕本があるのだ。
 初代会長・牧口常三郎は、一九四三年(昭和十八年)ごろから、「学会は発迹顕本しなくてはならん」(注1)と、口癖のように語っていた。戸田城聖をはじめ、牧口の門下生は、その意味がわからなかった。
 そして、軍部政府による、あの大弾圧が学会を襲ったのだ。牧口は捕らえられるが、むしろ国家諫暁の好機ととらえ、仏法の正義を叫び抜いて、殉難の生涯を閉じた。永遠の創価の師・牧口の発迹顕本といえよう。
 一方、牧口と共に捕らえられた戸田は、獄中での法華経の精読と唱題の末に、「われ地涌の菩薩なり」との悟達を得る。四五年(同二十年)七月、生きて牢獄を出た戸田は、殉教した師・牧口に広宣流布を誓うのである。
 戸田は記している。
 「われわれの生命は永遠である。無始無終である。われわれは末法に七文字の法華経を流布すべき大任をおびて、出現したことを自覚いたしました。この境地にまかせて、われわれの位を判ずるならば、われわれは地涌の菩薩であります」(注2)
 その自覚は、戦後、広く会員に浸透していったが、各人の自覚にすぎず、「いまだ学会自体の発迹顕本とはいいえない」(注3)状況であった。学会が一丸となっての広宣流布への本格的実践がなかったからだ。
■引用文献
 注1、2、3 「創価学会の歴史と確信」(『戸田城聖全集3』所収)聖教新聞社  
   (聖教新聞 2013-02-21)