「行動しないで考えることは、眠ることです。それは死の玄関です」

2013年3月11日(月)更新:4
・『最も苦しんでいる人を救わずして仏法はない!』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20160330


【新・人間革命 勇将 二十二】
 長野栄太は、一九六二年(昭和三十七年)二月、十八歳の時に入会している。
 大学の医学部に進む学資を工面するために、工事現場の資材倉庫を警備するアルバイトをしていた時、その建設会社の人から、仏法の話を聞かされたのだ。工事現場は、建設中の創価学会四国本部であった。
 両親は信心しているが、自分は宗教に頼った生き方はしたくなかったし、「暴力宗教」などといった学会批判を耳にしていただけに、学会に入る気は全くなかった。
 しかし、「青年ならば、実践してから批判すべきではないかね」と言われて、言葉を返せず、やむなく入会したのだ。実践なくしては、仏法を知識として理解することはできても、その真価を実感し、体得することはできない。
 「行動しないで考えることは、眠ることです。それは死の玄関です」(注)とは、ロマン・ロランの指摘である。
 長野は、その年の四月、徳島大学の医学部に入学した。半信半疑ながら、信心に励むようになったのは、それからであった。
 当時、徳島大学には、学生部員は数人しかいなかったが、皆、真剣に、世界の民衆の幸福を考え、熱く語り合っていた。長野も、彼らに触発され、積極的に学会活動に参加するようになり、教学も学んだ。
 両親と共に、ハンセン病の療養所である大島青松園の座談会にも参加した。そこには、病をはね返し、強く生きようとする学会員の、まばゆいばかりの笑顔があった。
 彼は、次第に、ハンセン病に関心をいだき始めていった。
 ハンセン病は、らい菌の感染によって発症する慢性の感染症で、皮膚、粘膜、神経などがおかされていく。らい菌の感染力は弱く、遺伝することもないが、かつては、治癒することはなく、遺伝するかのように誤解されてきた。医学による解明の遅れ、誤認識によって、これほど多くの患者が差別され、不当な苦しみを味わわされた病はない。
■引用文献  注 「ジャン・ゲーノ=ロマン・ロラン往復書簡」(『ロマン・ロラン全集41』所収)山口三夫訳、みすず書房
   (聖教新聞 2013-03-09)