御書を拝して広宣流布に生きる自らの深き使命を自覚していくことです

2013年4月6日(土)更新:4
・『入会の契機はなんであれ、信心に励んでいけば、功徳がありますよ』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20160701


【新・人間革命 勇将 四十五】
 溝渕義弘と静恵は、真剣に信仰に励むようになった。すると、医師仲間や親戚などが、信心に反対し始めた。まだ、学会への誤解と偏見が根強い時代である。
 なかでも静恵の母親は、「恥ずかしくて外も歩けないから、やめてちょうだい」と、涙ながらに訴えるのである。
 しかし、夫の義弘が、日ごとに元気になっていく姿を目の当たりにした静恵の信心は、揺らぐことはなかった。
 山本伸一が、最初に義弘と会ったのは、一九六六年(昭和四十一年)一月に、四国本部で行われた地区幹部らとの記念撮影の折であった。義弘は、救護班として着任していたのである。ノイローゼは克服したものの、まだ痩せて、顔色も優れなかった。
 伸一は、救護の労を讃え、こう励ました。
 「人の命を預かる、大切な責任を担っているのが医師です。それだけに、医師であるあなたは、絶対に健康になってください。
 健康のためには、強い生命力が必要です。その生命力は、深い祈りから生まれます。また、御書を拝して、広宣流布に生きる自らの深き使命を自覚していくことです」
 伸一の言葉に、義弘は奮起した。
 彼は、真剣に御書を拝した。
 そのなかで、大聖人が病床にあった南条時光を励まされた「法華証明抄」の一節を目にした時、全身に震えが走った。
 「鬼神め(奴)らめ」(御書一五八七ページ)と怒りをもって呼びかけ、「この人の病をすぐに治して、むしろ法華経を行じる人を守るべきではないか!」と、時光を悩ませる病魔を、しっ責されている箇所である。
 弟子の病を撃退せんとする大聖人の、烈々たる気迫と確信、大生命力に触れた思いがした。これこそが、医師の魂だと感じた。命を守るためには、強くあらねばならない。あらためて伸一の指導の意味をかみ締めたのだ。
 入会から七年で、彼は巨額の負債も返済した。また、その間に、心臓も病んだが、それも見事に乗り越えたのである。
   (聖教新聞 2013-04-05)