わが友に贈る・寸鉄・キボウラジオ・世界の知性は語る 他

2013年4月7日(日)更新:5
【ブラジルで中南米教学研修会 池田大作SGI会長がメッセージ 10カ国の求道の友が参加】
池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長がメッセージを贈った。
 その中でSGI会長は、本年が日蓮大聖人の立宗宣言から760年の佳節であることに触れ、「御本仏の仰せのままに、世界広布を成し遂げてきたのが、私たち創価の師弟であります」と強調した。
 そして、日本から見ると地球の反対側である中南米の地で、人間革命の劇を示しながら、地域と社会を照らす希望の灯台と輝く姿こそ「『閻浮提広宣流布』の勝利の実証にほかなりません」と最大にたたえた。  さらに、御聖訓「願くは我が弟子等・大願ををこせ」(御書1561ページ)を拝読。「日々、広布の大願を燃やして、仲良く朗らかに励まし合いながら、威風堂々と前進していっていただきたい」と念願した。
   (聖教新聞 2013-04-07、以下同)


【わが友に贈る】
 「仏教の四恩とは
 一には父母の恩」
 いつも笑顔で!
 逞しく成長を!
 親孝行の大道を歩め!


創価の不屈の黄金柱 チリ壮年部が意気軒高に】
●「自身の一念の変革こそが広布伸展のカギ」「徹底した訪問激励で一人一人との絆を強めたい」等と語り合った。


【きょう未来部の日 各放送局で「キボウラジオ」】
池田大作名誉会長の『希望対話――21世紀を生きる君たちへ』をもとに制作されたラジオ番組「キボウラジオ」が、文化放送をはじめ、各地の放送局で始まる(一部の地域を除き、インターネット放送・ラジオ「ラジコ〈radiko.jp〉」でも聴取可)。番組は15分。
 きょう7日の放送局、放送時間は次の通り。  
 【栃木、群馬、埼玉、千葉、東京、神奈川=文化放送】毎週日曜日、午後7時25分
 【山梨=山梨放送】毎週日曜日、午後5時半  【石川=北陸放送】毎週日曜日、午後8時15分
 【岐阜、愛知、三重=東海ラジオ】毎週日曜日、午後5時45分
 【福岡=RKB毎日放送】毎週日曜日、午前11時15分
 【長崎=エフエム長崎】毎週日曜日、午前8時40分
 【沖縄=琉球放送】毎週日曜日、午前7時半
 ※番組編成の都合上、放送時間が変更になることがあります。上記以外の放送局については、本紙3月27日付1面を参照。


寸鉄
創価家族(ファミリー)の輪で後継の人材を育成。励まし伸ばせ 未来の広布の主役なれば
●きょう「山梨婦人部の日」 富士の如く不動の信心で勝利を!師弟山は厳然と
●環境に不平不満を抱く者は幸せになれぬ―恩師。愚痴排せ。福徳の人生を  
●世界保健デー。食生活・運動など見直す機会(チャンス)に。賢明に健康人生飾りゆけ
●”猛烈低気圧”の暴風に警戒。飛散物にも注意。無冠の友の無事故を祈る


【世界の知性は語る 小説「新・人間革命」に生きた宗教の真価を見る デューイ研究センター ラリー・ヒックマン所長 “3つの信”の光が結ぶ学会の実像】
《多文化を生かす「随方毘尼」の知恵》
●「アメリカの良き市民に」「自動車の運転免許の取得」「英語のマスター」との指針ですね。SGI会長の世界の大学での講演を通しても分かるように、一貫して、講演に訪れた国や文化の背景を十分に理解し、踏まえたうえで自説を展開しております。
 同様に、デューイも一貫して“コンテキスト”(背景、文脈)を重視し、歴史や文化の差異に柔軟に対応した思考を巡らせました。まさに「随方毘尼(ずいほうびに)」的な思考法といえるでしょう。
 それゆえにデューイの思想は世界の各地で理解を結び、それぞれ独自の開花を遂げたのです。SGIの運動が世界の各地で発展した理由の一つも、そこにあるといえるでしょう。
●第一に、この指針が固定観念に基づく教条主義から人々を解放する力となった、という点です。さらにこの指針が信仰は自らの体験に基づき、理解と確信を深めゆくものであることを示唆している点も重要といえるでしょう。
 第二点として考えるべきは、とかく固定観念に陥りがちな人々が、なぜ「三つの指針」に素直に共感できたのか、ということです。それは人々が、SGI会長が自らの実践を通して体得してきた思想や知恵に、深い信を置いていたからではないでしょうか。
 そこに私は、指導者への信、それに啓発された自己自身に対する信、さらに、信仰という大いなる精神の共同体への信に根差した創価学会の実像を見る思いがするのです。

《宿命転換の思想こそ変革の行動促す源》
 ――小説『新・人間革命』は、その“三つの信”に根差した信仰の真髄を、さまざまな体験などを通してつづったものです。その中核をなすものこそ、一人の人間革命が一国の宿命をも転換しゆく、との宿命転換のドラマです。
●私たちは社会や環境の変化に対応すべく、さまざまな変革を試みます。しかし、それは単なる変革のための変革の次元にとどまってしまったら、何の意味も持ちません。
 その変革は、深い知性に裏打ちされた、明確な方向性を持ち、個人の変革のみに終わることなく、社会の変革をも促すものでなくてはなりません。そうした深い変革を推進するためには、人々が心から信を置ける指導者の存在が不可欠なのです。
 一般に理解されている仏教の宿業(カルマ)の概念には、自らの置かれた現状を定めとして受け入れるという、消極的なイメージがあります。しかし、宿命転換論には人間一人一人の責任を喚起していく力があります。
 そこには、未来は、他の誰かによって決定されるものではなく、自らの責任と行動によって開かれるものである、との力強いメッセージがあります。そして、その責任とは、たとえ自らが最悪の環境に置かれても、決して手放してはならないものです。そうした強い責任の意識こそが、真の変革の源となり、未来の発展の力となるのです。
 変革や発展の兆しは、逆境や困難の渦中にあっては、必ずしも知覚することができないかもしれません。しかし、その時には見えなくても、自らに信を置き、勇気をもって進むところに、大いなる希望が生まれ、未来は開かれていくのです。それを確信させてくれるのが、宿命転換の力強い思想です。

《教育の真髄、民主主義の縮図が座談会に》
 ――さきほど博士は、信仰は固定観念への執着を排し、自らの体験に基づき理解と確信を深めていくもの、と話されました。信仰における体験の持つ意義を、デューイはどのように考えていたのでしょうか。
●デューイは宗教への盲信を強く否定しました。デューイは反宗教を唱えたとの説の論拠がここにあります。しかし、実際、デューイは宗教的な体験をこよなく尊重しました。科学的な宗教の実践と検証を重視したといってもいいでしょう。そうした科学的な手法を無視すれば、宗教はドグマに陥り化石化してしまうと警鐘を鳴らしたのです。
 私たちは日常生活において、実際に機能しない思考や手法は捨て去り、機能するものを保持する、という生き方をしております。これこそが、科学的な思考であり手法です。“科学的”という言葉が適切でなければ、“探究的”と言い変えてもいいでしょう。
 宗教の思想と実践も、時代や環境の変化に応じて、実験的な試みを継続していかねばなりません。そうすれば、宗教の思想や実践の表現形態は、一般の社会において理性的、知性的とされる思考や生き方と、決して相反することはないのです。
 しかし多くの宗教は、ひとたび思想を生み出すと、それに固執し続け、やがては社会の中の化石となってしまうのです。そうした中で創価学会が一貫して実験証明の実践の形態を堅持し、歴史や環境の異なる世界に対しても随方毘尼の柔軟な思考をもって運動を展開してきたことは、特筆すべきものといえるでしょう。
 ――その実験証明の運動の縮図こそ、学会伝統の座談会です。そこに参加した人々は自らの体験を語り、他の体験に学びながら信仰を深め合っています。アメリカではこれを「ディスカッション・ミーティング」と呼んでおります。座談会の真価はディスカッション(対話)にこそあるからです。
●多くの宗教では、集会において中心者が何をすべきかを説き、人々はだまってそれを聞き、受け入れるという姿が一般的です。そうした宗教的な環境は原理主義の土壌を用意することはあっても、人々が現実に生きる知恵を学ぶ場とはなりません。
 一方、創価学会が活動の基軸とする座談会においては、中心者も含めた全ての参加者が、現実社会に生きるための手だてを、対話を通し、体験の紹介を通し学び合うことができます。それはまさに科学的、実験的な手法に基づく宗教の実践のあり方を示すものです。科学的な手法は、そのまま民主的な手法につながります。さらに、こうした対話を通した啓発と学び合いにこそ教育の真髄もあるのです。