咲き薫れ! 不屈の心を胸に

2013年4月8日(月)更新:4
【学園抄 創立者とともに 第1回 桜の園
●「創立者は“厳しい冬を耐えてこそ桜は咲き薫る”と言われています。桜保存会の一人一人は、どんなことにも負けないで日々努力と勉強を重ね、学園の桜のように皆に希望を送る人材になっていこうよ――そう先輩から励まされました」

〈“手作り”の名所〉
●戦争を経験した少年時代を振り返り、創立者は、こう綴ったことがある。
 「焼け野原に生き残って、けなげに咲く花が、どれほど人々を励ましてくれたことか。桜は平和の象徴です。いつか、日本中の駅に桜の木を植えて、皆の心を晴れやかにしたい――これが、少年の日に私が抱いた夢の一つでした」
●植物を大切に育てる作業から、生命を慈しむ「平和の心」を学ぶ。
●83年(昭和58年)3月。学園生と教員が“手作り”した桜の名所に、創立者が立った。
 春本番へ、つぼみを膨らませつつある桜が並ぶ。創立者は、ゆっくり歩きながら一本一本の幹をなでるように触り、仰ぎ見た。
 「頑張ったね。大きくなったね」
 「すごいね。やっぱり桜はいいね」
 創立者の言葉を伝え聞いた生徒たちに、笑顔が広がった。
 今も校内には、自然公園が整備されている。交野市街を一望できる高台は、理想郷を表す「桃源郷」から名を取って「桜(おう)源郷」と名付けられた。春には万朶(ばんだ)の桜が咲き、ウグイスが鳴く。「この道」から見える桜色の一角だ。春暖のひととき、創立者夫妻も足を運んだ。
 かつて創立者は、卒業しゆく学園生に、次の言葉を贈った。
 「厳しい冬の寒さに耐えに耐え、春来りなば爛漫と咲き誇り、学園生活に彩りをそえてくれた交野桜のごとくに、輝くばかりの笑顔で、かけがえのない人生を乗り越えていってほしい」

〈誓いに生き抜く〉
●89年(平成元年)4月、新入生のなかに、東京・豊島区から通う伊地知英麿君がいた。同年10月、彼は骨のがん「骨肉腫」の診断を受ける。年末、豊島区と練馬区合同の創価同窓の集いに、創立者が出席した。
 記念撮影の場で、創立者夫妻は彼の姿を見つけると真っすぐ歩み寄った。
 「元気そうじゃないか」
 両手で、彼の頬、肩、腕、背中にやさしく触れる創立者。「病気は大丈夫?」との問いに、彼は胸を張って答えた。
 「必ず勝って、先生にご報告します。僕、世界一の文学者になります!」
 しかし翌年3月、右足大腿部を切断。松葉杖で通学した。肺への転移が見つかった後は、約1年の間に3度の切除手術を受ける。同級生は回復を祈り、病院で飾ってもらおうと千羽鶴を折った。色違いの鶴で「伊地知ガンバレ」と文字を浮かび上がらせた。だが彼は病室に置かなかった。
 「僕は、すぐに退院するから大丈夫だ」と。
 創立者は揮毫を贈った。
 「生涯 希望
  生涯 勇気
  生涯 文学」
 世界一の文学者を目指し、彼は病床で勉強を続けた。3年生の8月には、国語教員の研究室を訪問。自らが書こうとしている小説の構想を熱心に語った。
 そうしたなか、創立者と22期生の卒業記念撮影日が11月11日に決定。「伊地知君と参加を」。同級生の誰もが、そう願った。
 八王子市の創価女子短期大学で行われた撮影会。創立者は、入院先から駆け付けた彼を見つけるやいなや、一直線に向かう。
 「よく来たね」
 「はい、どうもありがとうございます」
 毅然と車椅子に座る彼の右手を、創立者は、がっちりと握った。
 2週間後、彼は息を引き取った。最後まで「世界一の文学者に」という創立者との誓いに生き抜き、病魔と闘い抜いた。
 創立者は、彼の姿を通し、こう記している。
 「未来永遠の栄光に生きる者にとって、『絶望』の二字はありません。わが友は、断じて負けなかった。周囲に無限の『勇気』と『希望』と『決意』の炎を灯してくれた。不屈の青春の大叙事詩を綴ってくれたのです」
 「私の胸には、今も、『先生!僕、絶対に勝利します!』という彼の生命の叫びが、生き生きと、こだましています」
 伊地知桜は、彼が大好きだった学園の大地に根を張り、この春も凛と花を咲かせた。
   (聖教新聞 2013-04-08)